貴女は逃げずに解決したことがありますか? ~毒母編伍部作 其ノ壱~

■子の心親知らずに立て板に水で酷い言葉で閉口させる■

母は会社経営を始めたものの、資金繰りには始終苦慮していました

母の経営する会社は、最初は輸送機器等の部品加工の請け負いを行っていました
工業団地なるものが市内に存在していたりして、そこから派生する下流仕事は充実していた街だったとは思います
ですが、下流になればなるほど薄利なので、内職でできる部分は外へ出していました
簡単な手動の機械で加工する物については、会社事務所兼自宅で従業員が作業をしていました

私は、従業員の退社後や土日にその加工作業を手伝い、それなりに戦力として貢献していました(笑)

お酒が飲める人というのは、辛いことがあると、ついお酒に手を伸ばしがちです

飲酒何て、本当にその飲んでいる間の一瞬だけのこと
現実は何も変わらず、むしろ飲酒の時間により先送りにさせるだけ
問題を、自分で堆積させていく行為に過ぎないんですけれどね

でも、そんなことを理解できる年齢と経験をしても、やっばりお酒に逃げる気持ちは十分に理解出来ます

なので、母を全面的に非難はしません
お酒のやらかしが私の離婚の大きな要因の1つでもあるので。言う資格もない(笑)

母は、会社経営の大変さや不安を飲酒で紛らせる選択をする人でした
容姿端麗な人なので誘いも多かったんだと思います

容姿端麗な未亡人経営者なので、まぁ、男性はご一緒したい要素が満載なんでしょう

私も、自分が飲酒をするようになってから解りましたが、酔ってフラフラしてアチコチにぶつかったりしても、家の中だったりすれば案外なんでもないんですよね

でも、私は当時高校生でしたから、そんなのは解らないじゃないですか?
毎晩、夕食後に外出して、酔って帰って来る母が家の中でドタドタと騒がしい

子供ですから、騒がしいことに対する不快感や不満よりも、心配になっちゃいますよ

それで起きて様子を見る
母が大丈夫そうなのを確認して、また自室に戻って愛犬と眠る

そんな日々を過ごし続け、正直な心配する気持ちを母のシラフな時に言うじゃないですか?

そうすると、母は言うんですよ
「あんたに、会社経営の大変さなんて解らないのに、私にお酒すら飲ませない気なのか」
「あんたもお姉ちゃんも、私が会社をやっているから学校に行けているのに」
「あんたたちの父親が借金残して死んだりしなければ、こんな大変思いはしなくて済んだのに」

母の言ってることは、正しいんですよ
だって、会社経営や、資金繰りの大変さなんて、高校生の私には解るはずありません

そのずっと後に、自身がIPOや事業再生などにかかわる事で、資金繰りと資金調達については色々と辛い思いをさせられましたが(^^;

学費の捻出は母の働きがあってのものだから、おっしゃるとおりです
感謝もしているから、会社の仕事を学校から帰った後や土日にやっているんだけどね、それじゃぁ伝わらないのかな?

亡くなった父も資産より負債が多く残って、それを精算したのが母だったのだから、大変な思いをしたのは本当ですよ
でもね、それってわざわざ子供に言う必要あるのかな?

そこから、私はいかに自分が母を心配しているのかを伝えるためにその意を伝えるんですよね

すると母は「あんたに迷惑かけなきゃぁ文句ないんだろう」というお約束セリフを吐く

それは、私がサンドバッグになる開始の合図の言葉
正しい言葉の使用方法ではありませんが、まるで立て板に水
その後はたたみかけるように私に対して酷い言葉を浴びせかけてくる

その時も思っていました
「きっと、この人の前で今私が飛び降りたり、頸動脈を切って死んだら、この人は満足なんだろうなぁ」
いつものことでした

そうして結局、私はひたすら母の怒りを鎮めるために謝罪をするんです
母の身体を心配してその気持ちを伝えただけなのに

なぜ謝っているのかなど解らなくても、涙をボロボロこぼしながら謝罪していました

■血だらけの高校三年生■

私は、高校ではいじめを受けていました

なので、学校は全体を通して全く楽しいものではありませんでした
特に高校の三年間の半分以上の年月は、学校へは本当に行きたくなさ過ぎました

でも、家は母の経営する会社の事務所も兼ねていましたから、母がいます

消去法で、なんでもない顔をして通学して卒業にまで至りました

それは、年が変わり、もう受験シーズンになっていて学校へは登校しなくても良くなっている頃に突入していたある日の明け方のこと

きっと、それまで精一杯広げてきた心の許容の器の体積が限界になっちゃったんでしょうね

印象的だったのは、明け方の青白い空間に左腕から流れる鮮血が、妙に冷たく澄んで綺麗だったこと

死ぬつもりなんて毛頭ありませんでした
そして書籍で調べて簡単に死ねないことも解っていました

なので、左手首を切りました

理由は簡単です
母が、飲酒を止めてくれないから

飲酒自体は良いんですよ、飲み過ぎが心配だったんです

でも、私が気持ちを伝えても一向に伝わらない

言葉でダメなら、何か行動に移して私の思いを伝えなくてはと思いました

その結果の行動でした
その位に、深い思いで母を心配しているのだと

ただ、出血って止まるんですよ、さすが人の身体です(笑)
なので、多少の出血では、止血に使ったと思われるゴミ箱の中のティッシュの量が少なすぎて、インパクトに欠けると思いさらに深く切る

その時傍らにいた愛犬は、ピッタリ寄り添っていました

朝は、敢えて起きていきませんでした
すると起こしに自室へ来た母が驚愕

母に理由を話して母と一緒に病院へ

その時、母は私へ謝罪をしました

確かに1週間くらいは、一滴も飲酒しなかったんですよね、母が

でも、それを過ぎたら、喉元過ぎればというのと一緒でした
また、ベロベロになる日々が戻ってきました

そして、そのことを指摘した私に対して母は言いました

「あんた、私への当てつけで手首切ったんだろう」
「また、当てつけで切ったらいいよ、切れよ」

多分、その一言で普通はどうにかなっちゃうはずなんですよ

でもね、それまでの母の酷い言葉による年月で耐性なのか免疫なのか出来ているんですよ

確かに悲しかったんですが、衝撃的な悲しみとかはありませんでした

受験で、進路が心配だったのもあるんでしょうね

もしかして、母の言動もある程度想定していたのかもしれません
まだ、愛犬が存命で私に寄り添ってくれていましたし(笑)

でも、あの時は左手首を切らずにはいられなかったんです

この傷は、今はただのしわと馴染んでいますが、まだうっすらはわかります

そうこうしていたら、私は自分の生理がすでに3週間続いていることに気付きました

母には話す気になれませんでした
なので、母の会社の従業員の女性に話して婦人科へ行きました
その方には、重大な病気じゃなければ母へは内緒にして欲しいとも頼みました

結果的には、ストレスが原因と思われるホルモンバランスの崩れという診断でした

母はいまだにこのことは知りません
なので、知らないまま死んでいくんでしょうね

もう、どうでも良い話ですね(笑)