■私は油揚げが好きなんですよ■
アンミカさんのCM起用で、ちょっとネットが荒れてしまった日清「どん兵衛」
絵力というか画力の強さで言えば、抜群な方だとは思います
でも、アンミカさんは、どうしても通販のイメージが定着しちゃってますから
単なる商品CMにはちょっと難しい気がしちゃうんですよね
なんか、どん兵衛買ったらそれを糸口にアンミカさんのプロデュース商品とか購入させられそうな強さがあって(笑)
アレ?日清さんたらそんな商法始めたのかい!?みたいになっちゃいます(笑)
あと、とっくに降板しているのに、吉岡里帆さんのどんぎつねが、あざと可愛らしくて好評だっただけにね(;’∀’)
なんて思いながらの「最&強 きつねうどん」実食です!!
きつねうどんの揚げが通常の1.5倍ほどの厚みがありました
とっても美味しかったです
私にとって「油揚げ」は幸せの象徴の1つでもあります
そして、複雑な気持ちになるアイテムの1つでもあります
■酢がきいたしっかり濃い目な味付けの稲荷ずし■
私が中学の頃まで住んでいた自宅から、大人の足で5分ほどの所に「お豆腐屋さん」がありました
ギャンブル好きの豆腐屋の跡継ぎに、働き者のお嫁さんが来てくれて、姑&お嫁さんで切り盛りをしていました
そしていつしか、跡継ぎが出奔してしまったのに、そのままお嫁さんは残って姑さんと仲良くお店を回して、実の母娘のような空気感を醸し出し活気のあるお店でした
小学生の頃から、おつかいに行くと油揚げを数枚オマケにくれたのもあって、そのお店へのおつかいは大好きでした
内側の豆腐の部分もちょっと多めで、ふわっふわっした油揚げ
その油揚げで母が作ってくれる「稲荷ずし」
酢飯はすこし固めで酢をきかせて、白ごまを混ぜる
油揚げは、甘さが勝たない濃い目の味付け
酢飯を詰める時は、少ないというのではなく「軽く」詰める
本当にこれが大好きでした
私自身も、これを引き継いで、元夫をはじめ沢山の異性を引っかけましたよ(笑)
持ち寄りのお花見とかでも、老若男女に喜んで頂きました☆
あと、その変形でもあるのだと思いますが、よく母が作ってくれたもの
お弁当のご飯の上に、細切りにした油揚げを甘じょっぱく煮たのを乗せてくれるもの
母は、必ず欠かさずお弁当を作ってくれたわけではありません
また、時代が時代でしたから、全体的には茶色なのです
でも茶色のお弁当は、安心・安定のお弁当でもあるので、私は好きですよ(笑)
■表面的な条件では自慢の母親■
そんなご飯を作ってくれたならば毒親じゃないというのは全く別な話
毒母が、いわゆる料理や掃除等の家の中の家事全般をしないという固定概念は違います
全ての毒親の行動がそういう意味でのネグレクトとは限りません
母は、料理は上手ですし、綺麗好きですし、手先も器用なので裁縫なども得意です
そして何より、容姿端麗、人目を引く美人です
■誰得!?家族の食卓での見合い写真披露とモテ自慢■
父母は、私が育った街の出身者ではありません
既に移り住んでいた父方の親戚からの誘いで流入した移住者です
私と姉は3歳違い
私が保育園生だった頃、よく、姉と親戚の家で遊んだりしていました
そうやって私達を預けている間に、母は買い物や美容室など用事を済ませたりもしていました
時は、世界情勢的にはベトナム戦争、国内は全共闘運動そんなころ
田舎の街のご婦人にとってはそんな世の中の変化よりも、「身近なお節介」の方が大切
子供達を預けて単身で街を歩く母は、そんな方々にとっては「お世話をしたい標的」
「あら、とってもキレイなお嬢さんだこと」
「どうもこの街の人じゃなく、引っ越されてきたみたい」
「せっかくだから、良い人紹介してあげなくちゃ」
「なんなら、うちの息子はどうかしら?」
なんて流れかと思います(笑)
母は、一度も話もしたことがない見知らぬご婦人から、急に声をかけられ、見合い写真を渡されることが幾度となくありました
それを食卓で、渡された見合い写真と共に嬉々として語るっていうね
見合い写真を受け取るのは、自己愛オバケのモラハラ人間には大切な行為
話だけでなく、裏付けとなる動かぬ証拠の重要アイテム入手ですからね
でも、私はそれ自体は、あまり覚えていないんですよ
私はそんな頃から、母の承認欲求を満たしてあげる良い子でした
「わぁ、ママはモテるんだね、スゴーい」みたいに母を称賛・礼贊するんですよ
だってね、母親の喜ぶ顔がみたいんだもんね、子供は
まだ保育園生ですからねぇ
そして、それを後から姉にこっぴどくとがめられる
「なんで、あんなこと言うの」とね
その場じゃなくて、2人きりになったところでガッツリゴン詰めされるんですよ
なんなら、家の中とかでもなく、全く失念している後日、外で言い出すんですよね
「なんで」「なんで」「なんで」とね
姉は、何を言っても納得などせず「なんで」「なんで」「なんで」と繰り返し詰問です
しかも姉は「一重&三白眼」
それで、詰めてくる
その表情と、たたみかけてどんどん語気を強めるのが姉の特徴
姉の詰めが記憶に印象的だったので、「結果」から「原因」を逆引きでつま弾いて覚えています(笑)
これがね、こんなことを溶接の仕事を終えて帰ってきて、食卓で話される父親に思いを寄せて、不憫に思っての姉の私に対する詰めなら、まだ救いがあるんですよ
でもね、当然そうじゃないですから
父を思っていたならば、その場で母を叱責するでしょうしね
一番、辛いのは父親だったでしょう
これは、母本人の談なので真偽は定かではありません
ですがなんとね、勇気のある男性は直接交際を申し込んできたんです
そしてもちろんですが、それも話すんですよ
「△△の××さんて人から交際を申し込まれちゃった」
「だから、私はもう30歳を超えていますし、子供も2人いるんですよって言って、笑って断った」
とかって言っちゃうんですよね
それはそれは嬉しそうにキャピキャピウキウキして話すわけです
■主役は私じゃなくて母の手作りの洋服■
私はよく保育園の登園時に保育士さんやお母さん方に囲まれました
「○○○ちゃん(←私の名前)、今日も素敵なお洋服ね」
と言ってきたと同時に、私の服をめくったり何だかんだとしながら観察する大人達
時代的にも既製服と手作りであれば、少し裁縫が得意なお母さんなら、積極的に手作りを子供達に着させていたような時代でした
特に地方の街なんて衣料品の入手は、お店を選べるほどには豊富にはありません
なので「手作り」は珍しくはないのですが、古い写真から覗かせる母の手作りはセンスが良かった
これは正直に認めざるを得ません
春夏などは季節感を出してレース編み
既製服でも何かしらひと手間加える
ボタンも普通のボタンに布をかぶせて、わざわざくるみボタンにする
特にお遊戯会の日などの特別なイベント日は、大人に包囲されてトイレにさえ行けない状態になりました
でもね、大人達の興味は私ではないんですよね(笑)
直ぐに母の方に寄っていき
「どうやって作ったの?」
「材料代と手間賃をお支払いするから、うちの子のも作って欲しい」
「ご自身で裁縫の教室などされた方が良いんじゃない?」
などと質問等々、グルッと人垣です
そして、誰かが母の洋服に目を移し、今度はそれをベタ褒めする
母は集まる大人達に言います
「私なんて、独学ですから」
「子供なんてすぐに大きくなるから既製服より作った方が、材料代だけなんで安上がりで節約のためです」
とかなんとか、謙遜しまくるんですよね
でも家では言うんですよ
「やる気があれば、裁縫なんてすぐに覚えられるのに、頭悪くて不器用なのかしら?」
「でも、覚えてもセンスがないと、ろくな物作れないけれど」
意地の悪い、相手を侮蔑して勝ち誇ったような表情で、私に同意を求めてくるんです
■「衣食住」を手中に収める毒母■
母の手作りは、洋服だけに留まりません
寝具や、カーテン、部屋の装飾品も手作りです
そしてもともと「隠す収納」の思考の人でした
家の中はスッキリ片付いている収納上手で、近隣住民や父の同僚が我が家を訪れると
「こんなに小さい子が2人もいるのに、いつも片付いていて感心しちゃう」
「子供部屋は女の子のお部屋用にカーテン手作りなのね、可愛らしい」
とまたまた褒められちゃうわけです
さらに、その訪問者に手料理を振る舞おうものならばですよ(笑)
妻そして母として、夫や子供の「称賛・賛辞・礼贊」も自身の承認欲求を満たしてはくれます
ですが、家族というフィルターを介した第三者からの「称賛・賛辞・礼贊」の二段階での承認欲求の充足
それは、尊大過ぎる自尊心による自己愛オバケの母にとっては、たまらない甘美なものではなかったかと思います
母は生活の基盤の「衣食住」を手中に収めていました
そういう、頭ではなく本能の部分で「生活」「生きること」と切り離すのが困難なことを、刷り込んでいくのは毒親ならではというもの
だから厄介なんですよね
私は、毒母との時間の全てを否定することは出来ません
これはハッキリとキッパリと今でも、全否定は不可能です
幼い頃の刷り込みで、美味しいごはんやお菓子を手作りしてくれて、可愛くて綺麗なお洋服などを作ってくれるお母さんですから
どれだけ理不尽で非人道的な過剰な教育やしつけがあったとて
時にヒステリックになり物を投げつけられ、真っ暗な物置に何時間も入れられようと
全てが相殺されてしまうんですよ
ジキルとハイドのような二面性があるからこそ、高名な紳士のジキルに気に入られたい
だって相手は母親ですから
私はまだ、扶養されていないと生活のできない子供ですから
承認欲求と自己愛が振り切れちゃってる母は、その後の私に悪影響を及ぼすんですよ
常に母が納得する言い訳ばかりを考えてしまう
自分の気持ちではなく母親の気持ちを斟酌・忖度してしまう
母親ファーストになってしまうんですよね
ひいては、家族以外の対人関係にまでそれが及んでしまうんです
■取り立てて思い出せないことの健全性■
全てが悪なわけではないんですよ
世に生を受けて、記憶がある程度しっかりとしてから以降の全ての時間が悪なわけではありません
それがむしろ、子供の気持ちを混乱させるんだと思います
でも、もしかすると個別の出来事を思い出せること自体が不健全なのかもしれません
「健全」の定義はありません
ですが、仮に健全という表現を使用した場合
健全な家庭は何もかも「普通」
なので、あまり特徴的な思い出などないのかもしれません
特徴的な個別の出来事を思い出すということはむしろ「不健全」だから
そういうことかもしれません
私は料理上手です
でも、元夫も含めて今までお付き合いして来た方々が私が料理上手だったなんて思い出さないで欲しい
「忘れないでいて欲しい」なんて気持ちは1ミリたりとも、微塵もはありません
むしろ真逆で「すっかり失念して欲しい」
私の稲荷ずしが美味しかったなんて絶対に懐かしまないで欲しい
私も言います
「誰がどうとか、どんな思い出がなんて個別のことは覚えていません」
ということで全員のことを失念したいです(笑)
同じ様に、毒母のことも毒姉のことも
私の成育の過程である「機能不全家庭」での全てを