お笑いが無条件では笑えなくなってしまった

■「笑う門には福来る」■

昨年の記事で「お笑い」番組について触れました
笑うことは、心身の健康にとても良いことでもあります

そういう理由がある訳ではありませんが、私は「お笑い」が好きな部類だと思います

そこで改めて、松本人志という人の存在というか、私の概念のようなものに対する影響の大きさみたいなものに気づかされました

別に、ダウンタウンが特別大好きな訳ではないんですよね

だって、いわゆる、幼少期や多感な思春期は「欽ちゃん」「ドリフ」「ひょうきん族」で育った世代ですから

でも、上沼恵美子さんが言ったように、今は「ダウンタウン」にあこがれてお笑いを目指した人々が大多数となり「お笑い」の中心として活気づかせています
お笑いの中心のそのど真ん中の軸に松本人志氏がいるのは事実でしょう

私は、例の報道以降、お笑い番組やその手のバラエティーを、一呼吸置いてみるようになってしまいました

以前は、能動であれ受動であれ「本能的」に視聴していました
そして本能的に「感情のまま」笑っていました
ですが、今は「ちょっと一呼吸」置いてしまう

それが何しろ「悲しい」し「哀しい」
「喜怒哀楽」は、多くの人がもともと持っている「感情」です
沸きあがってくることに「ちょっと一呼吸」
それは、人という生き物にとっては感情の外的規制
そんな人生は、寂しくて辛い

「福」を招くはずの「笑い」が「楽しめない」
笑って福をぜひともガンガン招きたいのに、その笑いにブレーキがかかる

今回の件は、私にとっては想定外に大きな物のようです

でも、きっと日本中に私のような想いの人が居るのではないのか?と思っています

■問題提起となったのか?■

多種多様な人々が今回の件について私見を述べています

極端に2分してしまえば、いわゆる、松本氏の擁護派と、被害女性の擁護派
そして、それぞれに擁護派が存在すれば、批難派も存在します

また、堀江氏やひろゆき氏のように、いつもの手法なのか思考なのか「そもそも話題になること?」みたいな論点ずらしをする人も存在します
堀江氏やひろゆき氏は、「俯瞰」でも「鳥瞰」でもなく「論点ずらし」
そしてその「論点ずらし」の、ある意味達人です
そういう「論点ずらし」「逆張り」を「メタ思考」と定義づけている一定の方々からは、またも共感と賛辞を受けています

別に芸能界に限定的なことではないと思います
広義の芸能人の飲み会も、起業家の異業種交流会などもどちらも一緒です

似たような能力の人が集まるカテゴリーの中で、突出する為に人脈を活かそうとする

だから、そのカテゴリーの中の有力者に近付きたくて、飲み会などに参加する
そのような人々の気持ちはごく自然だろうと

そして一定量の人数として、自身が充分な自立立身出来ずとも、恩恵に預かれればそれも良しとする人が存在することも、十分想像出来ます

なので被害女性に対して「港区女子みたいなことしていたくせに」とか、そういうのは思いません

別に、その選択については個々の「生き方」の自由なので、何も感じなければ、何とも思いません

そこで「交換条件」として何らかの取引が存在したとて、遵法性に関すること以外は、部外者がとやかく口を挟むことではありません

あくまでも取引です
成立するには「双方合意」でなくてはなりません

なので、立場の優位性をもって一方が無理を強いたとなると、それは問題ですよね

でも、そこで、自分にとって不本意かつ人権蹂躙のような非人道的な事があったとて、不利な立場の側は、お礼メールを送ってしまう
そういう「忖度」は「保身」です

それも十分に理解出来ます

別に、ここぞとばかりに声高に必要以上に松本氏を非難し、被害女性を擁護する感情的キチ○イ発言はしません

ですが、松本氏の「ついに出たね」という、つぶやき
「裁判に集中したいから」という、休業理由

その言動で、松本氏は急激に「笑えない人」になってしまいました

松本氏が、若い頃から独善的な人だったのは、彼の著書からも周知の事

それがある意味、お笑い界の牽引の礎でもありました

なので、過去のこのような「愚行」には驚きはしません
ただ、対応が、まるで、世の中の動きには自分だけは該当しない「選民」「不可侵」だと考えてしまっている傲慢さに、なんというか嫌悪感すら覚えます

ギネスに載った、ジャニー喜多川氏だって例外じゃなかったのは、2023年に松本氏自身も目の当たりにしていたはずなのに

何だか残念で仕方がありません

以前の記事で「パワハラで退任した社長」の事も触れました

若年層であっても、狼藉を働く人は働く
狼藉だという認識がないので働いてしまう

狼藉は「個人」の問題なので、止まらないし、なくならない

今回の松本氏の件は、何らかの問題提起となってくれたら良いですけれど
どうなんでしょうね?

「俯瞰」ではなく「鳥瞰」の視点の重要性

■2024年に想うこと■

更新しなかったら、アクセスはゼロ若しくは極めてゼロに近く(^^;
やっぱり読んでくれる人なんていないんだなぁと思ってみたり( ;∀;)
また、新年早々国内に限定しただけでも様々なことが発生
なのでblogの更新を本気で躊躇していました

私のblogなど、そんな重要な物でもなければ、有用情報も含んでいない
かといって、人々の心に寄り添い、琴線に触れるような物でもない
だったら、そもそもが「日記」などエゴの塊のようなもの
更新はちょっと控えることにしました

令和の時代に「ご祝儀相場」というドメスティックな狭義的価値基準な文言もイニシエの響きですが、なかなかどんよりした感じで株式市場もスタート
でも、株式は人気投票でもあり、綱引きでもますから、どんより始まれば反発もあるでしょうね
そんな2024年の幕開けです

干支は太陰暦を用いて立春の2月4日切替えとのことです
昨年までの努力が結実するのが「甲辰」

昨年は、一昨年の怒涛の株式上場準備と上場のお陰か、はたまた更年期障害なのか?
そして、毒家族との家事調停と絶縁から10年なのに、マイナス成長状態の自分
また全くもって私から一切離れていかない記憶の影響で、何も出来ませんでした
という、ただ言い訳しか出来ない怠け者でしたから、結実する努力もしていませんので、自己責任乙なそんな年になりそうです(笑)
と既に辰年終了のお知らせになってしまいました(笑)

■「俯瞰」と「鳥瞰」の違いの私的見解■

「俯瞰」も「鳥瞰」も英訳するとbird's eye viewになります

また、昨今のビジネスパーソンに不可欠な思考とされる、ギリシャ語の「meta」に由来する「メタ思考」
きっとグローバルには「俯瞰」と「鳥瞰」は一色譚「メタ思考」にカテゴライズされてしまうと思います

でも、昭和の人間の私的には全く違う物だと区分しています

なかなか企業という組織は一律で捉えられないものなので言い切れません
なので、単なる例えになりますが、成熟した組織であれば課長は「俯瞰」の視点でも構わないと思います
でも、ベンチャーの課長は「鳥瞰」の視点が不可欠だと思います

「俯瞰」は、個別のプロダクツについて視点を上から見て考えること
「鳥瞰」は、まさに「鳥の目」なので更にその上の会社全体を上から見て考えること

私は、そのように使い分けをしていて、過去に部下や同僚に説明をして、指導や助言という形で対峙をさせてもらってきました

そこで、今回の「能登半島地震」です

■根底は「愛」だからこそ感情ではなく理性的で合理的に■

私にもかつて愛犬がいました
確かに「彼」に癒されましたし、思春期の私は「彼」がいなかったら、もっと壊れてしまっていただろうと思われます

今回の能登半島地震の支援物資輸送中の海上保安庁の機体とJALの機体の羽田空港での接触事故
貨物室のペットが亡くなってしまいました

このことは、飼い主の気持ちを推し量れば胸が締め付けられるような事実です

ですが、人命は全員無事でした

それに対して「事実を隠蔽して良いことだけを発表している」とかいう指摘の方は、まぁそういう人なので、察し(笑)
私の、知人にもそういう人が居ます
その人は常にそういうスタンスで自己を確立させて保っているのでしょうからご自由にという事で、放置(笑)

JALには歴史的に「123便」という欠番となった乗客・乗員520名が死亡した航空機事故があります
航空機という多くの「命」を乗せて運ぶ物なので、他社比較は出来ません
ですが、JALは「事故」と「人命」について非常に神経質な企業であると思われます
一度は経営不振で経営破綻にも陥り、再上場という背景もある企業です

なので「人命は全員無事だった」という報告だけでも、それは一区切り良いではないのかと思います

ですが、発信力や影響力のある「著名人」が発言されましたよね
「ペットの貨物扱いについて」
これね、まさに「鳥瞰」で発言しなくちゃならない人の「俯瞰」な意見なんですよね

「同じ命だから」
これは、もう言い出したらキリがない
万物の生きとし生けるものが「同じ命」になってしまいます

その原理のような事柄だけは「鳥瞰」で定義づけ
なのに意見は「俯瞰」に見せかけた「個人的見解」

例えば、ペットをやむを得ず空路で移動させなくてはならない場合の参考として、各航空会社の対応の比較表を載せるとか

なんというかもう少し感情の赴くままでなかったのなら「物議」ではなく「議論」になったのだと思います

根底には惜しみないペットというカテゴリーへの「家族愛」があるのは解ります
だからこそ理性的で合理的な発言をして欲しかったですよね

感情的な意見に留まってしまったから「ペットを飼うのは愛情ではなくて人間のエゴ」という、ご無理ごもっともな反論で切り返されちゃったんですよね

動物アレルギーの乗客や、何らかのトラブルでトラウマのある乗客の存在
そこまで考えたら、これもキリがありません

でもアッチとコッチのキリを整理して、解決するというか人の認知や理解や現状を変える「議論」に持ち込まなければ何も変わりませんよね

それには「俯瞰」じゃぁだめなんですよね
「鳥瞰」の視点で意見を発信しなくては

■何か役に立ちたい急く気持ちと行動はよく考えて■

能登半島地震の被害地域は石川県限定ではありません
たしかに、被害の甚大さの比較で捉えると石川県以外は軽微かもしれません
でも、被災には変わり有りません

なのに、皆、石川県に車を向かわせていますよね

そして、道路が渋滞してしまい、肝心な支援物資か、支援物資を配ったりする人々が未着の状態

YouTuberや代議士始め著名人が、現地入りをX等で報告

「何か役に立ちたい」という、いても立ってもいられない急く気持ちは解ります

でもね、石川県以外の隣接の県でも被害は生じています
かつ、報道がほぼされていないぶん、被害の実態も実は不明のままです

今回芸人の「やす子」さんの発言や発信は本当に素晴らしいかと私見で思いました
流石の自衛隊経験者だと痛感させられましたね

生きていく知恵的な被災地の方々への防寒対策の紹介

そして、一般の人々へは
「日常を送れる方はいつも通り日常を楽しむことですかね!
あとは募金とかでしょうか…
自家用車で支援をしに行くと道路が混み、緊急車両の邪魔で助かる命も助からなくなるので、今皆がいる場所で精一杯日常を生きるのが大切かもですね…!」
との見解

これこそが「鳥瞰」の視点であり重要な思考だと思います

現在、内閣も自民党も被災地より自分達といったところでしょうけれど、国民に対してこのような発信をして貰いたいですね

おかしいという認識と助けを求めることと逃げること

■本日で連続投稿60日■

10月30日が初投稿でした
そして本日は連続投稿60日になります

全く「キリバン」ではないので、キリは良くありません(笑)
でも、今日を区切りに「毎日更新」は一旦、糸冬了
の予定で、年末年始はゆるゆるしようと思います

blog自体は、10年前が初めてでした
その時には「家事調停」と「実質的絶縁」がありました
2013年2月8日の家事調停は、そこ至るまでの期間も含めて、毒母との同居と扶養が継続中
申立て項目は「毒姉に対する過年度扶養協力金精算」と「今後の毒母の生活保全に関すること」

正直、blogには救われました
購読者数も爆発的な数でもないですし、PVも全然でした
でも、他の方のblogなどに触れる機会となり、なんというか「独りじゃない」と思えました(笑)

そうして、また10年後にblogを始めました
きっと私の中でのモラハラ被害が過去の物ではないからなんだと思います

「許せない」ので、前に進めていないからblogの再開なのでしょう

■やっぱり「ソコ」にこだわってしまう堂々巡り■

家事調停の結果は、何しろあの日は私の人生最大にみじめな日で、世界で一番私がみじめな人間だった日というものでした

「謝罪」に対しては、法的な強制力などありません
したがってそれを代替として収めるための「贖罪」の要素としても「慰謝料を含めた損害賠償金」が存在する訳です

確かに「お金で解決できること」は世の中の多くを占めているとは思います

また、被害の度合いはなかなか一律の定量化は難しいものです
なので「謝罪」はどこまで尽くせばというものでもありません

更に謝罪には「保身のための偽りの謝罪」もあります

でもね、ヒトコトも加害者から無いんですよ
「保身のための偽りの謝罪」すらない

人の平均寿命から算出すると、私はその半分を加害者達によって搾取と隷属させられてきました

「だったら、人生の半分あるじゃないか」
「そんな過去は忘れて、残りの半分を好きなように生きていけば良い」
それは、そうかもしれません
でも、ちょっと乱暴かなと思います

blogの開始時には、個別のモラハラ被害事象については綴らないつもりでした
確かに10年前のようには、毒姉に対して送った質問状の個別質問を綴るようなことはありません
ですが、やはり触れずにはいられない
綴らずにはいられない

モラハラは「尊厳」に対する侵害・侵略・剥奪という不法行為です

ヒトコトの謝罪もないまま
モラハラ被害者の私にとってそれは、その不法行為が今も尚、継続中ということ

私は、私だけの人生を歩もうと10年前にモラハラ加害者達から実質的絶縁を果たした時に思いました

私のマンションの鍵の返却と共に私だけの人生をスタートさせたはずでした

ですが、堂々巡りなんです

モラハラ加害者とは謝罪もしないような異常者だというのも解っています
ただ、だからとて自分の気持ちをドラスティックには切り替えることは出来ません

なぜなら、加害者は私に対してそれだけのことをしたから

その思いを抱えたままで生きていくのは、やっぱり辛過ぎる

あの家事調停から10年です

平均寿命から考えれば、あと30年
こんな思いのまま、もう生きていくのは正直しんどい

blogへ綴るには、過去の記憶を反芻しなくてはなりません
それは、極めて辛い行為です
ある意味、自傷行為のようなものかもしれません
自制が効かなくなれば自死ということにも繋がるかもしれません

それが解っていても、その行為も止められない

実質的な絶縁です
なので確かに、もう直接モラハラ加害者から暴言を吐かれたりすることはなくなりました
直接的な被害を受けていた頃と比較して解放はされました
だったらそれだけを噛みしめて、楽しんで生きていけば良いというのはあまりに暴力的な発想

私の心は、漆黒の闇の中にいるのは何ら変わっていません
モラハラ被害者の私にとっては加害者の不法行為は終わっていないんです
今も継続中のことなんです

■おかしいという異常性の認識■

血縁者によるモラハラは「家族」という「民事不介入」の代表格の中で起きていること
閉鎖的な関係性による洗脳にも近いものです

ただ、毒母と毒姉の異常性を私は「認識」はしていました

とはいえ、洗脳です
洗脳とは、恐怖や感情、罪悪感をコントロールするもの

モラハラ加害者主導により迫られる、モラハラ加害者優位な選択
なんらかの問題や局面などの折に触れ、私が家族の中で下していた判断
それは私自身の自由意思によって行っていた結果とは言えません
モラハラ加害者による卑劣な手法によって誘導された選択だったと思います

まだ、機能不全家庭や毒親などという言葉が明確に説明と認知がされていなかった未熟な世の中の頃のこと
なので、どのような異常というものなのかという「理解」は不十分ではあったと思います
ただ、異常の存在は「認識」していました

いくら毒母に「他所は他所、家は家」などと言われていても「おかしい」というのは私の中に確実にありました

いくら毒姉が「よくある姉妹喧嘩」だと言い張っても、姉と私の関係が支配と隷属であることも揺るがない事実だと解っていました

毒母と毒姉の言動が「すこしやりすぎ」などというレベルではないことも解っていました

ただね、そのことを他者に口外できるかというと全く別な話となります

■頼って助けを求めることの勇気■

SMクラブで働いて、姉から不当に要求された引っ越し資金のお金を用意したなんて言えない

その頃結婚を決めていた元夫の認識では
「姉は、言い出したら聞かない人」
そういう認識だったとは思います
それこそ「すこしやりすぎ」な人という程度の認識だったでしょうね

まだ、ミレニアムの2000年を迎える以前の時代です
「家族なんだから話し合えば解る」とか
「家族は互いに協力しあうもの」とか
「つい家族だと甘えが出て言い過ぎてしまうことがある」とか
そういう倫理観や概念の教育を受けて育った人達が大多数で形成されていた世の中です

自分の身に起きて強いられている異常性について、口外することへの複雑な気持ち
勇気や羞恥心や虚栄心とともに罪悪感というものもありました

元夫に助けてもらいたい気持ちはありました

でも「異常性」を認識しているからこそ、恥ずかしくて言えない
そして、彼にとっては他人の家の事なのに、それに巻き込むことは出来ない
また、家族のことを一方的に批判するような言い方をして、軽蔑されるのではないかという不安

だから、元夫には「本当のこと」は言えないままに結婚しました

様々なモラハラ被害後の私の結婚生活にも、加害者達は傍若無人に介入してきました

私の結婚生活までも、モラハラ加害者は自身の人生の手足として取り込み利用するように

そうして、私はそれまで精一杯広げてきた、心の許容の器を広げることが限界に到達
さらに、その中身が器の体積以上になってしまい溢れて精神疾患に罹患

私の人を見る目そのものの問題もあります

また、婚姻生活の間に私が元夫に私という人間を理解して貰えなかったという、私の力不足もあります

総合的に、たぶん、私と元夫は婚姻をする相手ではなかった
生活と一生を共に歩むパートナーではなかったのを解っていなかったのに、結婚してしまったということなのでしょう

でも、モラハラ被害者の私は、相手が元夫じゃなくても、助けは求められなかったと思います

そういう行動に移す勇気さえも、モラハラ加害者により抑圧・抑制されていたのだから

■理論上はいつでも逃げられた■

私は、別に監禁されていた訳ではありません

なので、それほどの「尊厳」に対する侵害・侵略・剥奪というモラハラ被害を受けていたならば、とっとと逃げれば良かったのに

そう言われてしまうと、返す言葉がありません

でも、私には「父の交通事故死」「愛犬の病死」がありました
「しなかったこと」「してしまったこと」これが私の中から離れませんでした

そして、モラハラ被害者にしか解らない加害者の異常性による恐怖
直接手を下さずとも、言動により「殺される」と思いました

それであれば、モラハラ加害者が望むように手足となり従って動く方が良いのです

最悪の消去法による選択です

そうやって、私は自ら平均寿命の半分もの時間を台無しに送ってしまいました

常に、あの家事調停が最良の機が熟したタイミングだったのだと思おうとしています

ですが、失った物を考えると、もっと早くに逃げられたのにと悔やむ気持ちが払拭出来ません

本当に、そろそろこれ以上このような気持ちと決別したいと思っています

その「決別」の方法について2023年の残りの数日は考えて過ごそうと思います

オシャレだったりじゃなかったり(笑)

■油揚げの納豆包みにカプレーゼ(笑)■

おひとり様などと言えば聞こえは良いです
まぁ、でも実際は・・・(察し)
なので、本当に統一感などなくたって自由な訳ですよ
なんたって、メインは残った野菜やら、地味に冷蔵庫に存在している豚コマなんかを入れた、冷凍庫に常備の冷凍うどんで「焼うどん」だからね
「カプレーゼ」「キャロットラペ」がオサレな食卓にしようと頑張ってます
でもね「ふろふき大根」「油揚げの納豆包み」ですもの
手作りとは言い辛いデザートが有るだけ良しとしましょう☆

焼うどん

崩壊も廃棄も同じケーキの話

■返金では戻らないものは切り替えて■

たぶん、どのご家庭でも楽しみにされていたでしょうね

横浜の青葉区にある人気のフレンチ監修のケーキですもんね

ケーキ全体に、生クリームがフリルのようになっていて、イチゴの赤とのコントラストがとっても美しいケーキ
見た目だけでも、テンション上がるクリスマスのケーキ

横浜市青葉区は、1994年に緑区港北区からそれぞれ一部が独立して出来た区です
神奈川県内の世帯平均年収は1位、1000万円以上比率も23%という土地柄

その情報と、ケーキの崩壊は無関係ですが、情報までに(笑)

しかしながら、なんというか製造が別であっても、そういう所の監修です
何だか何とも「信頼」はしちゃいますよね(笑)
しかも、販売は「高島屋」ですもん
そして、昨年も同様のデザインで何の苦情もなかったという良い実績が
「信頼」と「楽しみ」でしかなかったはず

なのに届いたケーキをいざ箱から取り出そうとしたら、ちょっと崩れているとかの話じゃないと
もはや、雪崩のように

名古屋名物「ぴよりんチャレンジ」は、むしろ失敗した「悲惨」さこそが醍醐味だったりしますが、このクリスマスケーキは違いますもんね
ぴよりんはぴよりんで失敗すると、グロ画像注意!!になっちゃいますけれどね(笑)

問題の崩壊ケーキは、ネット上にアップされている画像や個々の報告を見る限り、各家への個別配送中の問題では無いよう

なかなかホットなニュースなので、最新情報は常に更新されているので、ネットで確認して下さい(笑)
ケーキ食べてなくても、胸やけする位に動画出てきますから(笑)

高島屋の株価に対する記事もあります
特段影響は無いようです
確かに、株主あっての企業なんですが、世知辛いなぁと(^^;

確かに「腹に入ったら一緒だろう」by 昭和ヒトケタ狼藉ジジィ(勝手なイメージですみません)なんですけれどね

元の完成形をイメージしていると、落差で腹に入れる気にもならん状態の画像だらけ

でも、この雪崩を逆手に取って、トライフルケーキにでもカバーアレンジしてしまえば乗り切れそうな気がしないでもなし
むしろ、自分達で最後は完成させる的な楽しみが増えたりして
まぁ、全くビジュアルは注文した品とは変わりますけれどね(笑)

クリスマスにとってケーキは重要アイテムですよ
でもね、ケーキが残念だからとてクリスマスそのものが残念になるのは勿体ない
だったら、この雪崩をむしろ利用して上手くカバーするのが、皆が幸せになる道かと

なのに、まぁやたらと「考察」「検証」動画の多いこと
しまいには「代金返金」だけで良いのか?というものまで

イベントのケーキです
「返金」では戻らない「何か」があったりしますよね
それをどう判断するかというものなんでしょうね

顧客から代金を受け取って販売しているのは「高島屋
顧客からすると、窓口は「高島屋」です

なので、代金の返金は高島屋が履行します

そして、どこに問題があったのか?という「売り手」全関係者の責任追及と再発防止
それと、代金だけで良いのか?+αとなる「慰謝料」問題

まぁ、でも高島屋です
このような時の「謝罪の気持ち」の処理マニュアルも用意されているでしょうから、外野は静観のはず

なのに、話を深刻に大きくしようとしているものが散見されます

どうしてそうなっちゃうかなぁ

■事前予約は絶対ではなく大前提なだけ■

崩壊ケーキの裏側でセットになっているのは「廃棄ケーキ」

従前から、街のケーキ屋さんは経営にも影響するので「事前予約」が基本でした

ですが、量産のチェーン店は大量生産して大量廃棄という流れでした
でも、現在は企業の社会貢献の一環としてSDGsに取り込むことを求められています

なので、ほぼ「事前予約」が大前提とはなっています

ただ、その大前提の後の実際の結果について、追いかけるものは非常に少ない

実は、調査によると、購買者は「当日に店頭購入する」という人が50%なんですよ
事前予約をする人は35%なんだそう

ということは、それを見込んで製造もされている訳です
そうなると「廃棄」は避けられないですよね、当日のお客様がいるわけですから
確かに「廃棄ゼロ」は無理でしょうけれど、これでは廃棄は減りません

企業側も前年度の実績などから、生産のコントロールはしているとは思います
ただ、企業ですから、最初から計画として前年比でマイナス計画などは立てませんよね

人口というパイは決まっています
かつ、一人当たりの食べる量や数にも限度はあります

なんともダブルスタンダードな話になっちゃいます

燃料も原材料も値上がりがしているのに、廃棄はそれを助長してしまいます

現在、世界的な食糧不足を唱え警鐘を鳴らす人達がいます
でも「今」を切り取って、自身の周囲を見渡すと、なかなか肌感的にはビンとこない状況ですよね

ただ、このような「ダブルスタンダード」を繰り返していたら、かなり現実味が強まってくるよう思います

■声を上げる人は一方通行ではいけない■

そうして、どうも今は社会全体が、相互ではなく一方通行のような気がします

崩壊ケーキも廃棄ケーキも、結局なんか「問題の本質」には誰も切り込んでいないように思えます

見えている表面的なものにだけ皆がそれぞれ注目する
それは、単なるパフォーマンスだけに見えてしまうのは私だけでしょうか?

せっかく個人も自由に声を上げて発言・発信のできる世の中になっています

でも、何だか視聴される数字ばかりを気にして、発信・発言をされている気が

マスコミを始めとするメディアも個人も企業も、もっとその発言・発信の場を有効活用して欲しいなと思います

2024年はそんな年になりますように、願っています

貴女は逃げずに解決したことがありますか? ~毒母編伍部作 其ノ伍~

■全て「嘘」ならどれだけ良いか■

脳内メーカー」というのを知っていますか?
氏名を入力すると脳内が解るというお遊びです

苗字と名前の間にスペースを入れるか否かでも変わります

私の場合です
苗字と名前の間にスペース入れたら、全脳「遊」
そのままだと、全脳「嘘」

私の今までの数々が、全部「嘘」の釣りや、パラレルワールドだったらどれだけ良いか
本当にそう思いますよ、本当に、本当にね

きっと「真」の私は別にいるのに、毒母と毒姉によりモラハラ加害者にとって都合の良い私=私にとって「嘘」の私が作られてしまったんでしょうね

以下、関係者はスペースを入れない状態での結果です

毒母・・・・・・全脳「欲」 この人の全脳は、やっぱり欲だったんだなぁと
毒母(旧姓)・・・全脳「休」
毒姉(旧姓)・・・「金」と「嘘」が半分ずつ 何をか言わんやですな、そのまんま(笑)
毒姉・・・・・・「悩」が一番外側、次の枠は「金」その中に「遊」、真ん中に「友」
義兄・・・・・・「金」が一番外側、次の枠は「欲」その中に「友」、真ん中に「忘」

父・・・・・・・全脳「休」

単に、組まれたプログラムから出される結果のお遊びです
でもね、なんだかちょっと納得しちゃいますねぇ(笑)

父母は、それぞれ全脳「休」のお二人が出会ってご結婚されたんですか(^^;
姉夫婦は、「金」と「欲」が出会ってしまったんですね
しかも、姉は義兄に我が家の事実なんてイチミリも言ってなかったでしょうから「嘘」っていうね(笑)
結婚後の姉は「悩」に尽きないようですね、知りませんが(笑)

■加害者同士は同居を拒否■

私が世界で一番惨めな人間だった家事調停を終えて、毒母と毒姉から私の賃貸契約のマンションの鍵を返却してもらいました

母は、私との同居を解消し北海道の叔母の元へ

私の婚姻中、私の意思など無視して母との同居を、勝手に2対1の多数決による数的優位に持ち込んで推し進めて通したモラハラ加害者達

姉夫婦の事情なんか知らないし、関係ありません
だって、私の時は婚姻して2年目の私の話を、全く聞きもしなかったじゃない
姉夫婦は、もう婚姻7年だし別に子供もいないじゃない
だったら、姉夫婦と母が同居すれば良い

「今度は、あんたたちが母と同居しろよ!」と毒姉には思いました
モラハラ加害者同士は、一緒に住めないの?」と毒母には思いました

被害者の私には選択肢も自由も認めないし与えない

本来、私の選択肢や自由は私自身の物
モラハラ加害者に決める権利などない物のはずなのに

家事調停後のこの選択1つを取っても、モラハラ加害者達の私への人権蹂躙は明確でした

北海道の叔母は、インターネットなどには疎い人でした
また、今ほどは「お取り寄せ」が充実していない時
私は「同居する叔母やご近所へ」と思い、折に触れお菓子などを送ったりしていました

これは、決して母を思ったものではありません

叔母にとっては母との同居は「貰い事故」みたいなもの
叔母も特徴的な人ではありましたが、母との同居は色々大変だと思い、少し大袈裟な感はありますが叔母に対する私の「贖罪」でした

また、家事調停がトリガーで生じたことでもあったのは事実
そこまでの経緯や背景は別として、その家事調停を申し立てたのは私
したがって、叔母への付け届けは、親戚からの私への非難を軽減する一助の狙いもありました

でも、母は好都合脳内変換して、私の母のことを想っての行為だと勘違い

あなたが、家を出る時に目も合わせずにPCで、当時のblogを更新していたのに
あなたが、どんな格好でどんな表情で私の元を去ったのか
きっとあなたの最後の姿だったのに、見てもいないから覚えてもいないのに

そんな相手を想ったりしないでしょう

■ピンときたら110番案件■

母が北海道に転居してから、自宅や携帯に母から電話がありました

表示される番号で、当然私は出ないでいました

ですがある時、知らない番号からの電話

間違って出てしまった
当時仕事の関係で、直接的な知り合いではない人数人とやりとりをしていました
決算と許認可の件で、知人を介して知見のある方からアドバイスを貰いながらの仕事でした
中には事前にメールで携帯番号を伝えてくる人もいましたが直接連絡の人もいました

そんな状況だったので、何の疑いもせずに出てしまった

すると母でした

えっ!?番号違うじゃん

と思いましたが、そこから勝手に本人は話し始めました

■命に代える約束なんだから守ってね■

元々開始時から、北海道の叔母と母との同居は老老同居です
遠くない将来に、施設での生活なりの選択へと生活が移っていくことは想定の範囲

母は、間もなくして北海道の家から施設へ移る旨を伝えてきました

なので、一度逢いたいと

私は、姉に渡していた書面や陳述書を母にも渡していました

そして、姉からは私にいつまでたっても書面回答がないこと

母とは、母との同居解消が最後なので、逢うことはないこと

さらに、母自身からも正式な「謝罪」も「贖罪」もないと私は認識していること
もう一度、渡してある書類を見て「謝罪」と「贖罪」をして欲しい

そのようなことを伝えました

すると母は言いました
「もう、あんな書類は捨てた」
「私だって、おばぁちゃんに色々なことを言われたりされたりしてきた」

捨てたとか言っちゃうんですよね、書類のこと
しかも「あんな」って言われちゃいました

私がどのような思いでそれらの書類の作成をしたのか、見ていたよね?
(なかなかの出来の良さに、私は捨てられずに墓場まで持っていきそうな勢いなのに)
自身がそれまでかかわってきた開示の仕事が、変に役に立ってしまい悔やんだりもして
40年超に及ぶ人生のことですから、簡単に捨てられたら、堪ったもんじゃない
あなたにとっては「あんな」書類かもしれませんけれどね

もう80歳にもなっているのに、私もおばぁちゃんに色々されてとか
そんな話は知りませんがな
あんたがた母娘のことなんて、私には無関係なことでしょうが
齢80超えても他責の被害者面による論点ずらしですか?
あんたの話は、いっつも、父のことといい、祖父母のことといい、相手が鬼籍の人ばかりの「死人に口なし」話じゃない

ほんっとぉに、バカは死ななきゃ治らないと言うけれど、毒も死ななきゃ治らないんだと思いました

何が「最後」の約束なのかは解りません(笑)
何しろ、何度も軽々しく華麗に反故にされている、私はモラハラ被害者ですから

昔、小泉今日子さんの曲の「見逃してくれよ!」の歌詞に♪「一生のお願い百回しても」「いいじゃん」「見逃してくれよ」♪というのがありましたが、それみたい

母は、家事調停後に私との同居解消前に、一度、姉夫婦と会食をしています

その会食から戻った時に、約束してくれましたよね

「あなたが、本当に大変な思いをして作った書類だから、これだけは私の命に代えてでも、手紙に対して絶対にお姉ちゃんには書面で回答させるから」

全部ウソなんだねぇ

それとも嘘じゃないと言うならば、命に代えるだから、あなたが生物学的に死に至ったら、姉から自動的に届く手筈になっているんですか?
そんな劇的な演出不要ですから、早く姉からの書面回答を下さい

■あなたの物語の中でお暮しください■

私の契約賃貸マンションには、母が残したまま後にしてしまい、処分に困っていた代物がありました

私は、母の施設への転居の話を聞き、それらを転居前に母へ送ることにしました

母の刺繍や、まぁ、母が勝手に美しい思い出としているであろう幼い頃に一緒に写っていた写真などいくつかの思い出の品と共に手紙を添えました

ちなみに、例の白スーツの父との私の小学校入学のクラス写真も添えました
あと、2度目の出奔から戻ってきた母が、私の名前を手書きで書いてくれた布製の筆入れ
なんといってもそれまでの私の持ち物は、字の汚い父が近所の方に代筆を頼んだ物だったので、他人による署名だったのが、私は寂しかったんですよね

私が、それらの思い出の品々と共に添えた書面の文面は以下です

「貴女の気持ちは全くわかりません
もう、推し量り寄り添う器量を、私は既に使い果たしてしまっています
一般的な寿命から推察するに、貴女の今後は、今までの人生経年数程は無いのは明白かと思います
たぶん、貴女にとって幸せであったであろう時の物を選んだつもりです
相手軸での事実を一切直視せず、自分軸で好都合な、想い出というご自身にとって感傷に浸れる、なんなら勝手に美しく塗り替えていけるファンタジーの世界だけで生きていかれるのも、貴女の人生かと思います」

これは原文ママです

まぁ本当に、私は、母にとって天使か女神のような子供ですよね(笑)

貴女は逃げずに解決したことがありますか? ~毒母編伍部作 其ノ四~

■バカな被害者なのは間違っていないですが■

血縁者間のモラハラが根底にある家事調停
その経験者は、ゴロゴロはいないでしょう

毒母は、我が家での様々な出来事を「よくあること」と言って、常に私を一蹴

また、事あるごとに「他所は他所、家は家」とも言っていました

そう言われて、全て閉口させられる
そして「家族だから協力し合う」なんていう言葉で縛り付けて、搾取と隷属

ですが「よくあること」ではないから、家事調停となったのではないでしょうか?

時代背景を言い訳のようには使いたくありません

それでも思います
隣国と地続きではない国で、国外からの人の流入も少ない
全員完璧に網羅出来てはいませんが戸籍制度の情報の完成度もかなりのレベル
その整った「戸籍」を活用して、国という組織が統率しやすいように「家族」という考え方と倫理的な教育を施す
それは、私のような中高年以降の世代にとっては自身の人生の選択に非常に影響があるものとして、刷り込み洗脳された環境でもありました

現在も、物理的な距離は全く変わっていません
かつ、日本の戸籍制度も存在しています
ですが、世界の情報、個人の発言が繋がっています
かつてのような「家族」という考え方と倫理的な教育は刷り込み洗脳することが出来なくなっています

たしかに、かつての考え方と倫理的な教育にも異議や異論を唱えた人達もいます
したがって、そうではなく従順に成長したので、私はバカ
バカだからモラハラ加害者のオモチャで養分
搾取と隷属させられたんでしょう

ひろゆき氏あたりならば毒親に「それはあなたの感想ですよね」とか論破して糸冬了
そして、搾取と隷属され続けるモラハラ被害者がバカだから被害者になる
そういうお考えなんでしょう

バカだから被害者になるのは間違っていない
でも、正しくはないと思います

現在は、機能不全家庭だとか毒親だとかの言葉が確立されています
ですが、そんなのは昔から潜在的に存在していました

ただ単に顕在化していなかっただけのこと

そして、全てが「よくあること」などと毒親に都合よく言われる
被害者はひたすら蓋をするように仕向けられていただけ

何事も「被害」はそれを訴えてつまびらかにしなければ、存在すらなかったことになりますから

家族って、これだけの情報の世の中になったとて閉鎖的です
夜に外から見れば、どの家も等しく灯りが灯っているように見えます
でも、中のことなんて外からでは全く解らないじゃないですか?

私は、自分がバカな被害者であったと認識しています
ですが、家事調停による絶縁に至るまで逃げられなかったことはバカだからその結果になったとは思っていません

■そんなに簡単に降りて逃げないでよ■

家事調停を申し立てる前に母は私に言いました
「家族を訴えて調停なんて、あんたは狂っているよ」

なので、言ってあげました

「他所は他所、家は家」
「よくあること」

母が、私を今まで閉口させてきた言葉でオウム返しです

家事調停の申立てそのものはドライな事務的な手続きです
ただ、そこに至るまではウェットな感情的な実体がずうっと存在していました

母は言ったんですよ
調停を申し立てる以前の私と姉とのやり取りの間
姉が私に対する不法行為と取れることを、従前と変わらず、引き続き行っているのを見て

「お姉ちゃんをあのようにしてしまったのは、私の責任」
「だから、これは親として最後に私がちゃんとするから」

その言葉を本当に信じたかった
齢70超の人には大変なことであろうことは理解していました
それでも「親として最後に」という母の「言葉」を「揺るぎない覚悟」と思いたかった

何度も何度も、私の方が母を許してきました、姉を許してきました
それは「家族だから協力し合う」ものだと思ってきたから実践し続けてきました

母が、最期にやっと私にしてくれるのだと思いました

その言葉通りに母が逃げずに姉と対峙してくれていたら、それまでの私の人生は報われたかもしれません

でも、舌の根も乾かないうちに母は
「もう、大人になってしまった人に、私ができることはないから私には無理」
と言って、あっさり降りてしまいました

ここでも、また逃げました

それは、それまでの私の人生が台無しになった瞬間

そうして私は家事調停の申立てをする選択に至りました
母が言うところの「狂った選択」をすることになったわけです

結局、母は他人事だったんでしょうね
自分のことだったら、何が何でも自分が勝つために手を尽くしますからね

相手をその場で絶望させるような言葉をたたみかけたり、泣き落としたり、相手の気持ちに寄り添ったふりをしたり、恐怖に落とし入れるために恫喝したり

ありとあらゆることをしますから

あんなにあっさり降りるなら、最初から期待を持たせなければ良いのに

いえ、そうやって期待を持たせておいて落とすのがモラハラ毒母の狙いだったんでしょうか?
そうしないと、自分自身が楽しめないと
そういうことなんでしょうか?

狂っているのはいったいどっちなんだという話です

■アンタの生活保全も争点なんだから立派な当事者なんだよ■

私は家事調停申立てのために陳述書を作成することに

その時に、母へは「狂った選択」の内容を説明
「今までの過去10年分の扶養協力金の精算」
「今後の母の生活保全のための扶養協力金額の決定と実行」
この2点を決めるためにも、過去の経緯としての数々の出来事と、モラハラ言動を整理して、双方の認識を一にする必要がある

「あなたは立派な当事者であって、他人事ではない」
「私と〇〇〇さん(←姉の名前)だけの問題とは思わないで、そこを理解して協力をお願いします」

過去の経緯の整理は、私の記憶違いが無い様に、母へも確認しながらの作業となります

でもね、もう母は本当にひたすら「巻き込まれたくない」そういう気持ちなんですよ
当事者じゃなくて被害者の気持ちになっちゃっているんですよね

しおらしく私の確認作業に追従なんて、堪えられないんでしょうね
私にとっての事実確認の「過去の復習」をすること
それは母にとっては不都合なことに対する「過去の復讐」をされること

私が、毒母と毒姉というモラハラ加害者達から、長きに渡り言われ続けられてきた言葉
その中に「しつこい」「執念深い」「被害者意識が強い」というのがありました

なので、非協力的な母に対して
「私は、あなたがいつも言うように、しつこくて、執念深くて、被害者意識が強いから繰り返すけれど、あなたは立派な当事者であって、他人事ではないからね」
と、それこそしつこく執念深く言いました

まるで、それまで、モラハラ加害者達が私にしてきてように

ただ違うのは、加害者のようには感情的にはならなかったということ
私は、あくまでも体温低く母に対峙していました

感情的にならないように、意図的に抑制していたのではありません
残念ながら、感情的になるほどの、母に対する熱量は完全に無くなっていました

一応目は見て話しました
でも、それは相手を見つめるというより、対象の方を見て話すという行為なだけ

しつこく執念深く言っても、母は私が満足いくように協力はしませんでしたけれど
協力どころか、私の精神をさかなでるような発言ばかりしてきましたね

毒母が私を閉口させてきたように、我が家での様々な出来事は「よくあること」
それだったら「よくあること」の確認と整理に過ぎない作業なのに
なんで、そんなにチリチリするの?

あなたがしてきた言動は、普通のことであって、私だけが異常なこととして捉えているんでしょう?

だったらもっと、大らかに構えていれば良いじゃない?普通のことなんだから

敢えて、私にダメージを与えるような言葉をぶつける必要は有る?

そんなに「よくあること」の確認と整理は、あなたにとって不都合で嫌なこと?

おい、その不都合で嫌なことを私は「よくあること」だと言われてされて来たんだよ!
にもかかわらず、あんたの今後の生活保全のために家事調停を申し立てたんだぞ

感謝して欲しいくらいだよ
私は、あんたにとって天使か女神だろうよ

あんたが「親として最後に」って言ったんじゃん
あんたの自主性と「親の愛」と「覚悟」ってのを信じて任せたのに、逃げたんじゃん
だから、家事調停の申立てをしたんだよ

最期だった調停くらいは、母に逃げずにいて欲しかったです