■同じことでも全く別なこと■
私も姉も共通していることだと思います
記憶の中で最も古い、母が逃げた時というもの
でも、実は若干、姉と私では違っています
若干と私は思っていますが、その後の姉の言動から、これは姉にとっては「決定的な違い」だったんでしょう
私が保育園の年少の頃なので3歳の時ですね
姉は6歳でしたから小学生です
夫婦のことは、当人同士にしか解りません
何だったら当人同士でさえも「本当のところ」というのは解らない
まぁ、解りあえないというのが正しいかもしれませんね
血縁ではないので完全なる他人なのに、最後は最小単位の戸籍になるのは夫婦
非常に特異な関係だと思います
更に我が家は、私が小学5年生の時に父が鬼籍となっています
よって「死人に口なし」
父母の夫婦関係のことは自身が感じたことや、真偽不明の母から話による勝手な想像でしかありません
もう、私が3歳の頃でさえも父母の夫婦関係は良好ではなかったんでしょうね
「でしょう」というのは、流石に3歳児なのでそのことについての記憶は全くない(笑)
母曰く、既に父は母に暴力を振っていたのだとか
でもね、教育者の娘の母は、東北の農家の分家の1つでしかないようなところで育った父に対して、言っていましたからね
「あんたは本当に学がなくて、てにをはすら満足に使えない」
って、食卓での夫婦喧嘩で子供達も聞いているのに
こういう尊厳系の、人権蹂躙発言してましたから
良し悪しは別として、口では絶対に制することのできない父が手を出てしまうのも理解はできます
母が受けた暴力はある意味、自業自得でもあるかなとは思います
そうして、父の暴力に耐えかねた母は出奔を考えて、実行に移すことに
父は、自宅から数分のところで溶接工として働いていました
始業時間は早いのですが、その分終業時間も早い
保険会社の事務職のパートを終えて、私を保育園でピックアップした母は帰宅
姉の小学校からの帰宅も待って、3人での出奔予定でした
ですが、姉はお友達と遊んでいたようで、なかなか帰ってこない
父の帰宅時間は近付く
仕方なく、私だけを連れてタクシーへ乗り込むことになりました
お友達と遊んで帰って来た姉からすると「置いて行かれた」
そうして「母憎し」「妹憎し」の気持ちは積み上げられてしまうのでした
このことを事あるごとに姉は言っていましたからね
そうして、母に対して何かを懇願・交渉・奪取する際のキラーワードでもありました
■逃げスイッチはどの時点で入るのだろうか?■
その後、どのような流れで家に戻ったのかは解りませんが、また4人家族の生活がスタートしました
ですが、その2年後の私の保育園の卒園&小学校の入学のタイミングで、今度は母が単身で出奔をしました
2度目の出奔ですね
私のその頃の全体写真は、みごとにお父さんが保護者として写っているのは、私の父だけという状態のもの
今思うと、父子家庭って無かったのか、もし有ったとしても、他の家は血縁者の女性がそのような節目の式には代役で来ていたんでしょうね
もっと、別な目線では、女性の社会的な地位と言うか社会構造が現在とは異なっていたため、離婚などの行動に女性が移せずにいたというのもありますね
そして何しろ印象的なのは、父のその時のスーツが、白スーツ(^^;
言っておきますが、父は溶接工です
これは、故人には申し訳ないながら事実なんで仕方ないことです
父の非常識さは恥ずかしいばかりです
さらに、きっと街にある、吹き溜まりのような繁華街外で知り合った、組織の構成員でもない「チンピラ」なんかと親しくなって、影響されたんでしょうね
何と言うかそういう人達に対する、要するに強い者への憧れみたいのがね、痛々しくて
だからとて、母の人権蹂躙発言や出奔は許されるものではありませんけれど
先にも書いていますが、夫婦のことは解りません
母には母の気持ちも存在します
ですが「出奔した事実」は変わらないわけです
かつ、母のその後の全ての何事に関しても「逃げ選択」をする思考と行動
それを考えると、この出奔もあまり母に対して理解を示すことが出来ません
また、この母の「逃げ癖」は確実に私に影響を与えています
私には「逃げない癖」「逃げそびれる」という傾向があります
「逃げる」ことに対する、罪悪感が非常に強いのです
意識をして「逃げない癖」「逃げそびれる」のとは違います
最初から「逃げる」選択が欠落しているような感じが最も近いかもしれません
「逃げる」は存在しているのだけれども選択肢に欠落しているという感じです
毒母の、何かあると漏れなく必ず入っちゃう逃げスイッチ
それはどの時点で入るんでしょうね?
■自分の味方に引き入れようとする毒母■
空ローンの件でも無関係だとして私達血縁者から逃げ
昼間に夜逃げをして、自然消滅的に清算となった会社と共に不義理によって人間関係からも逃げ
それでも、どうしても逃れられない物については対応していた母
その逃れられない物の1つは、姉の空ローンの返済
母にとっては、同様の被害の私については、私が返済を申し出た時点で、自分とは無関係なことになっていましたから、自身の範疇外のこと(笑)
それよりも、姉から毎晩の様に責め立てられる長時間の電話が堪えられない
それで、私に泣きついてきたりもしました
私も、姉との同居生活で隣室から毎晩聞こえる姉の執拗な母に対する「死ね」という発言を望まずとも聞かされていました
絶対に、母のした行為は悪いんですよ
それでも、姉のあの執念というか相手を追い込むことに対する異常な情熱
姉の発する言葉は正直聞くに堪えませんでしたから、それについては進言しました
そんな時にも、母は私に言いましたよ
「あんたは、ほんとうに優しい子だね」
我が家は父が亡くなってから3人という奇数でした
なので、数の理論から、2対1になることは避けられません
私は、それを避けたかった
モラハラ加害者の2人は自分に都合よく、その図式を作為的に作っては、末っ子という立場の序列の優位性最下位の私を隷属させていました
私にとって、それは屈辱的であり、卑怯なやり方だと思っていました
なので、避けたかったというより、卑怯なマネをしたくなかった
私が、正攻法で毒母や毒姉と対峙すれば「家族だからいつかは解ってくれる」と思っていたし、願ってもいました
母に対する姉の発言に対して、私は母の味方的な立ち位置では姉への進言はしませんでした
それでも、そもそもの思考が「勝ち負け」「敵味方」「損得」軸しか存在しないモラハラ加害者
母にとっては、私は味方
姉にとっては、私は敵
そのように捉えたようでした
また、母が私に姉との同居を提案したのも「私のため」「家族のため」でもなんでもないんです
愛犬を亡くして、これからダブルワークで空ローン返済する私の心身が心配だって?そうじゃないよね
姉からの叱責に対して、同居する証人として私を自身の味方にさせるつもりだっただけだよね?(笑)
■ターゲットが変われば傍観者になる母■
これは、家族に対しての考え方に限定されていません
私のなかでは、常に「ソレ」と「コレ」は別という考え方があります
なので、私は毒母と毒姉に対しても最後までその姿勢で対峙してきました
そのせいもあって、母に対する発言を指摘する時に「私は同じ被害者なのに云々」とかいう言葉を姉に一切出しませんでした
正直言って、心の中にはありましたよ
あんたが「自分は被害者だから返済しない」とか言い張って折れないから、私は母の支払い能力を考えて、折れるしかなかったんだよ
ダブルワークとかしなきゃなんないのは、お前のワガママのせいだよ
とかっていうのはね(笑)
だって、それは私だけの身勝手な個人の考えによる真実ではないから
「事実」であり、かつ当事者全員が認識しているところの「共通の本当のこと」だから
でも「姉⇔母」のことと「姉⇔私」は「ソレ」と「コレ」で別々なこと
そして、私が自分で勝手に自分の空ローンの返済を決めたことであって、姉は無関係だという認識でもあり、姉個人にとってはそれが揺るがない「真実」
絶対に相手の土俵には立とうとはしないし、近付かない
むしろ自分の土俵から決して動かずギャーギャー言い続けて、相手を自分の土俵に引きずり込もうとする人
そんなモラハラ加害者には何を言っても無駄じゃないですか?
したがって、そのことを口に出すだけで、自分が惨めになるやら情けないやらで、堪らない気持ちになるので言いませんでした
私にとって「姉⇔母」と「姉⇔私」は「ソレ」と「コレ」で別々です
なので、母にとっても同様なことが当てはまります
ただ、母は私と姉の母親という「共通項」があります
しかも、当時私と姉は共同生活していましたしね
なので「誓約書&締め出し」と「契約違反&慰謝料」の姉の言動を母に話しました
姉の言動に対しての「2人の娘の母親としての進言」の協力を母へ仰ぎました
でも、母にとったらターゲットが自身から私に移ってくれてから、もうかかわりたくないんですよね
ここでも、逃げちゃうんですよね
だからSMクラブで働くことに対して感情的な物とか、そういうものは沸かなくなっちゃいますよね
「何が何でも用意しろ」って恫喝されているんですもん、私は姉から
もはや間接的な売春強要だよね
もし私が自死をしていたら自殺教唆だったよ
母だって、この空ローンの件も含めてそれ以前からの姉の要求の仕方や、自身のワガママを通す時の手法や執念を知っているはず
あなただって少し前まで、毎晩「死ね」と言われて辛かったんじゃなかったの?
もう忘れちゃった?
それとも、自分のことじゃなきゃ関係ないの?
ねぇ、お母さん
あなたにとっての「優しい子」とは、自分のために自己犠牲を払ってくれる奴隷のこと?