先進国38カ国でワースト2位

■ピンとこない調査結果と予防■

Yahoo!をデフォルトにしていると、偏向記事が流れてくるそうですが、私は未だにYahoo!検索の人です
ただ、仕事の時はGoogle検索ですよ(笑)

12月9日のYahoo!ニュース
いじめに関する物を目にしました
「仲良しでも監視の社会」という今の子供たち

いじめのターゲットが次々と移っていき、子供たちは「いつ私が狙われるのか」常に緊張状態を強いられているというもの

また、それに対する現状の予防対策の不備と課題も綴られていました

日本の子どもたちの精神的幸福度は低いそう
ユニセフ(国連児童基金)によれば、先進国38カ国でワースト2
理由の1つは、いじめ

専門家たちの分析によれば、かつてと違い最近のいじめは「すぐそこにあった、誰もが関係者になる」というもの

したがって、対策としては「もっと総合的に社会総がかりで取り組まなければならない」

それがひいては、安心して近所の公立学校への進学とつながり「異次元の少子化対策」にもなる

と結んでいました

何だか、ちっともピンとこない記事だなぁと思うのは私だけでしょうか?

社会総がかりで取り組むって、具体案は?
総がかりって表現が、懐かしのタピオカ事件彷彿するような言葉で、違う意味でもアレ?って感じでしたが(笑)

それで、世界的な順位上がるのかなぁ?

さらにケチつけちゃうと、世界の子供たちの環境は最低でも国ごとに異なるよね
それで「幸福度」を調べた結果だよね
どのような受け止め方をしたら良いのか全く解らない

また、ある種「幸福度」を感じ辛いのは、日本人の性格の特徴でもある気もするし

あとね、なにしろ、すっごく肝心なこと

いじめってずうっと昔から、すぐそこにあったと思いますよ(笑)

■1980年代後半の地方の高校での話■

私の通学していた高校は、地方の新設の中途半端な公立の進学校でした
これ以上に、この表現がシックリくる高校はないのではないかというほどです

教員は同地域の上位高を引き合いに
「お前達は、あの高校に行けなかった人間」
「努力が足りなかったから、この高校への進学になった」
などと平気で言ってしまう人が何人もいました

そして、筑波大学学閥がしっかり布かれているのが高校生のこちら側にも解るような人間関係というか教員ヒエラルキーが存在していました

地方で新設の高校なんていうと、否が応でも街の大人達の目につくようです

そして、これは真偽が定かではありませんが
「××でそちらの高校の子が騒いでいた」とか

高校が新設されたことで、通常のルートのバスダイヤにスクールバスを増発させていたため、一般の人も利用していたので
「バスの乗り方のマナーが悪い」とか

学校の代表電話に直接クレームのような電話があるようで、その度にホームルームで担任からお小言が伝えられていました

そして、毎朝、登校時に校門で服装検査が行われていました
同地域の他高ではそのようなことが実施されているという話など聞いたことがありませんでした

ストレスの発散法にギャンブルや飲酒が選択されるのは「身近・手近」だからというのもあります

人のストレスの発散は、まず近い物が手っ取り早い
そして基本的には、自分の生活の「外」に存在しているもの

当時の私の高校のような環境下での学生のストレスの発散対象
そんなの当たり前ですが、学生同士になりますよね

だって、外で何かをすればまた報告が入ってしまう訳で、ストレスの原因になりますから「内」に向いてしまう訳です

「いじめ」の条件は揃いました

当時、クラスは別でしたが、通学や放課後を共にしていた一番仲の良い同級生がいました

ある時彼女から「いじめ」を告白されました

彼女から告白される以前から、自分のクラスにも「いじめ」があることを認識していました

直接口撃をするというより、無視や仲間外れや、横を通るとクスクス笑ったり身体を大げさによじって避けたりというものです

そしてそれは、積極的な人と、なんとなく同調する人と、参加するわけではないけれどただ傍観するだけの人の3タイプに大分類できました

彼女が彼女のクラスで受けていたのも同様のもの

私は、それら全てが理不尽でバカバカしく思っていました

そうしてその彼女を庇った結果、私は私のクラスで「いじめ」の対象となりました

おかげで、高校の三年間の半分以上の年月は、学校には行きたくなかったなぁ

でも、家はもっと嫌だったので、なんでもない顔をして通学して卒業にまで至りました

その私の同級生なんですが、3年生で同じクラスになったんですよ
すると、それまで彼女に言っていなかった私への「いじめ」がバレちゃうわけです

そうしたら、それがトリガーとなって彼女は、不登校になってしまいました
騙し騙し、我慢に我慢を重ねて通学していましたが、一学期も持ちませんでした

「いじめ」なんてまったく解らない世代の彼女の両親は、何が何でも登校させたい
なだめたりすかしたりをするんですよ
切羽詰まった彼女は、ある日漂白剤を飲んで病院へ救急搬送されました

大事に至りませんでしたが、結果彼女は中途退学することに
その後、大学検定を受け、関西の公立大学へと進学しました

私は、彼女の漂白剤の件を聞いたときに
「なぜ、私に言ってくれなかったのか?」
と彼女に言いましたが

「身近で、大切な友人だからこそ、もうこれ以上迷惑掛けられないと思って言えなかった」
と彼女は私に答えました

彼女のその言葉を聞いた時、本当に「堪らない気持ち」になりました
「堪らない気持ち」という言葉以外に表現のしようのない気持ちでした

そこから、自然と彼女とは少し距離が出来てしまいました
私が連絡することで、彼女はまた高校のことを思い出してしまうかもしれない
そして、漂白剤を飲んだあの切羽詰まった状態を思い出してしまうかもしれない
そう思って、自宅の訪問はもちろん、電話の回数も減っていきました

「いじめ」は1980年代後半に、大人がバブル経済に狂喜乱舞している時に、すでにすぐそこにありました

■立場が変わると忘れてしまう■

私の高校は、彼女以外にも同学年で他に2~3人、下級生達も私の在学中に各学年で同じような人数が中途退学していました

全て原因は「いじめ」

でも、教員はその真実も学生たちの実態も何も解っていなかったと思います

解っていたのは中途退学者の人数という「事実」だけ

教員たちの目は常に、学生そのものに向いてはいなかったんですから
学生は、教員にとってはあくまでも単なるフィルターだっただけ

私はよく色々な人に
「親になったことはないから、親側の気持ちは解らない」
「だけれど、いつまでも子供側の気持ちは忘れない」
と、言います

特に親風を吹かす人にチクりと言ってしまいます(笑)

教員も教員になった途端に、生徒・学生の気持ちを忘れてしまいます
すっかり失念しちゃうか、都合の良い理論にすり替わります
そしてなぜか、自身の「教員→生徒・学生」という組織上の立場の優位性を活用して生徒・学生に対峙します

■これはもはやれっきとした「文化」■

今の「いじめ」の主戦場は、教室そのものよりもSNS掲示板というようなインターネットです

インターネットが「身近・手近」だからでしょうね

従前から、メディアの視聴は人々にとっては身近であり、ストレスの発散の手段だったと思います

でも従前のメディアは、参加型ではありませんでした
もし参加型であっても、メディア側の検閲により選ばれた物だけでした

でもSNS掲示板であれば、参加出来るどころか、主となり作り上げたりコントロールする側にさえなれます

そして、その対象を内外問わずに出来てしまう

学生までの若年層の場合、年齢が低くなればなるほど、自身のかかわる社会は狭い範囲でしょう

まぁ、大人だって物理的範囲ならば「会社⇔自宅」なので変わりませんが、論理的というか概念的な範囲は若年層よりも広くなります

するとネットの利用方法もかかわり方も、若年層と大人なでは違います

若年層にとっての「インターネット+いじめ」は、切り離せないセットでしょうね

なんなら、これはもはやれっきとした「文化」と定義づけてしまっても良いかもしれない

でも、このままだと心配なのは、今の「文化」の若年層が大人となった時
このまま大人になっても、この「文化」を大人の社会へ持ち込みそうですよね

そうなる懸念が、単なる的外れな老婆心ですむことを願っています