おかしいという認識と助けを求めることと逃げること

■本日で連続投稿60日■

10月30日が初投稿でした
そして本日は連続投稿60日になります

全く「キリバン」ではないので、キリは良くありません(笑)
でも、今日を区切りに「毎日更新」は一旦、糸冬了
の予定で、年末年始はゆるゆるしようと思います

blog自体は、10年前が初めてでした
その時には「家事調停」と「実質的絶縁」がありました
2013年2月8日の家事調停は、そこ至るまでの期間も含めて、毒母との同居と扶養が継続中
申立て項目は「毒姉に対する過年度扶養協力金精算」と「今後の毒母の生活保全に関すること」

正直、blogには救われました
購読者数も爆発的な数でもないですし、PVも全然でした
でも、他の方のblogなどに触れる機会となり、なんというか「独りじゃない」と思えました(笑)

そうして、また10年後にblogを始めました
きっと私の中でのモラハラ被害が過去の物ではないからなんだと思います

「許せない」ので、前に進めていないからblogの再開なのでしょう

■やっぱり「ソコ」にこだわってしまう堂々巡り■

家事調停の結果は、何しろあの日は私の人生最大にみじめな日で、世界で一番私がみじめな人間だった日というものでした

「謝罪」に対しては、法的な強制力などありません
したがってそれを代替として収めるための「贖罪」の要素としても「慰謝料を含めた損害賠償金」が存在する訳です

確かに「お金で解決できること」は世の中の多くを占めているとは思います

また、被害の度合いはなかなか一律の定量化は難しいものです
なので「謝罪」はどこまで尽くせばというものでもありません

更に謝罪には「保身のための偽りの謝罪」もあります

でもね、ヒトコトも加害者から無いんですよ
「保身のための偽りの謝罪」すらない

人の平均寿命から算出すると、私はその半分を加害者達によって搾取と隷属させられてきました

「だったら、人生の半分あるじゃないか」
「そんな過去は忘れて、残りの半分を好きなように生きていけば良い」
それは、そうかもしれません
でも、ちょっと乱暴かなと思います

blogの開始時には、個別のモラハラ被害事象については綴らないつもりでした
確かに10年前のようには、毒姉に対して送った質問状の個別質問を綴るようなことはありません
ですが、やはり触れずにはいられない
綴らずにはいられない

モラハラは「尊厳」に対する侵害・侵略・剥奪という不法行為です

ヒトコトの謝罪もないまま
モラハラ被害者の私にとってそれは、その不法行為が今も尚、継続中ということ

私は、私だけの人生を歩もうと10年前にモラハラ加害者達から実質的絶縁を果たした時に思いました

私のマンションの鍵の返却と共に私だけの人生をスタートさせたはずでした

ですが、堂々巡りなんです

モラハラ加害者とは謝罪もしないような異常者だというのも解っています
ただ、だからとて自分の気持ちをドラスティックには切り替えることは出来ません

なぜなら、加害者は私に対してそれだけのことをしたから

その思いを抱えたままで生きていくのは、やっぱり辛過ぎる

あの家事調停から10年です

平均寿命から考えれば、あと30年
こんな思いのまま、もう生きていくのは正直しんどい

blogへ綴るには、過去の記憶を反芻しなくてはなりません
それは、極めて辛い行為です
ある意味、自傷行為のようなものかもしれません
自制が効かなくなれば自死ということにも繋がるかもしれません

それが解っていても、その行為も止められない

実質的な絶縁です
なので確かに、もう直接モラハラ加害者から暴言を吐かれたりすることはなくなりました
直接的な被害を受けていた頃と比較して解放はされました
だったらそれだけを噛みしめて、楽しんで生きていけば良いというのはあまりに暴力的な発想

私の心は、漆黒の闇の中にいるのは何ら変わっていません
モラハラ被害者の私にとっては加害者の不法行為は終わっていないんです
今も継続中のことなんです

■おかしいという異常性の認識■

血縁者によるモラハラは「家族」という「民事不介入」の代表格の中で起きていること
閉鎖的な関係性による洗脳にも近いものです

ただ、毒母と毒姉の異常性を私は「認識」はしていました

とはいえ、洗脳です
洗脳とは、恐怖や感情、罪悪感をコントロールするもの

モラハラ加害者主導により迫られる、モラハラ加害者優位な選択
なんらかの問題や局面などの折に触れ、私が家族の中で下していた判断
それは私自身の自由意思によって行っていた結果とは言えません
モラハラ加害者による卑劣な手法によって誘導された選択だったと思います

まだ、機能不全家庭や毒親などという言葉が明確に説明と認知がされていなかった未熟な世の中の頃のこと
なので、どのような異常というものなのかという「理解」は不十分ではあったと思います
ただ、異常の存在は「認識」していました

いくら毒母に「他所は他所、家は家」などと言われていても「おかしい」というのは私の中に確実にありました

いくら毒姉が「よくある姉妹喧嘩」だと言い張っても、姉と私の関係が支配と隷属であることも揺るがない事実だと解っていました

毒母と毒姉の言動が「すこしやりすぎ」などというレベルではないことも解っていました

ただね、そのことを他者に口外できるかというと全く別な話となります

■頼って助けを求めることの勇気■

SMクラブで働いて、姉から不当に要求された引っ越し資金のお金を用意したなんて言えない

その頃結婚を決めていた元夫の認識では
「姉は、言い出したら聞かない人」
そういう認識だったとは思います
それこそ「すこしやりすぎ」な人という程度の認識だったでしょうね

まだ、ミレニアムの2000年を迎える以前の時代です
「家族なんだから話し合えば解る」とか
「家族は互いに協力しあうもの」とか
「つい家族だと甘えが出て言い過ぎてしまうことがある」とか
そういう倫理観や概念の教育を受けて育った人達が大多数で形成されていた世の中です

自分の身に起きて強いられている異常性について、口外することへの複雑な気持ち
勇気や羞恥心や虚栄心とともに罪悪感というものもありました

元夫に助けてもらいたい気持ちはありました

でも「異常性」を認識しているからこそ、恥ずかしくて言えない
そして、彼にとっては他人の家の事なのに、それに巻き込むことは出来ない
また、家族のことを一方的に批判するような言い方をして、軽蔑されるのではないかという不安

だから、元夫には「本当のこと」は言えないままに結婚しました

様々なモラハラ被害後の私の結婚生活にも、加害者達は傍若無人に介入してきました

私の結婚生活までも、モラハラ加害者は自身の人生の手足として取り込み利用するように

そうして、私はそれまで精一杯広げてきた、心の許容の器を広げることが限界に到達
さらに、その中身が器の体積以上になってしまい溢れて精神疾患に罹患

私の人を見る目そのものの問題もあります

また、婚姻生活の間に私が元夫に私という人間を理解して貰えなかったという、私の力不足もあります

総合的に、たぶん、私と元夫は婚姻をする相手ではなかった
生活と一生を共に歩むパートナーではなかったのを解っていなかったのに、結婚してしまったということなのでしょう

でも、モラハラ被害者の私は、相手が元夫じゃなくても、助けは求められなかったと思います

そういう行動に移す勇気さえも、モラハラ加害者により抑圧・抑制されていたのだから

■理論上はいつでも逃げられた■

私は、別に監禁されていた訳ではありません

なので、それほどの「尊厳」に対する侵害・侵略・剥奪というモラハラ被害を受けていたならば、とっとと逃げれば良かったのに

そう言われてしまうと、返す言葉がありません

でも、私には「父の交通事故死」「愛犬の病死」がありました
「しなかったこと」「してしまったこと」これが私の中から離れませんでした

そして、モラハラ被害者にしか解らない加害者の異常性による恐怖
直接手を下さずとも、言動により「殺される」と思いました

それであれば、モラハラ加害者が望むように手足となり従って動く方が良いのです

最悪の消去法による選択です

そうやって、私は自ら平均寿命の半分もの時間を台無しに送ってしまいました

常に、あの家事調停が最良の機が熟したタイミングだったのだと思おうとしています

ですが、失った物を考えると、もっと早くに逃げられたのにと悔やむ気持ちが払拭出来ません

本当に、そろそろこれ以上このような気持ちと決別したいと思っています

その「決別」の方法について2023年の残りの数日は考えて過ごそうと思います