親にならなかったことは最大の社会貢献

■無資格なのに絶対的権力者■

サイコパスおじさんの岡田斗司夫氏いわく
「誰だって親にはなれるし、親だって狂うこともできる
いずれも資格は不要
だから、狂った親からは離れて逃げる権利がある」

こんなに的確な表現はないなぁと私は思います

いわゆる親子関係界隈の専門家のどんな言葉より的確だと思います

親になることは免許制でも許認可制でもありません
また、男女間に「愛情」なるものが存在しなくても親にはなれます
男女が肉体的な営みを行い、ペアリングに成功着床し、無事に生命が宿り、出産まで育んでいければ、親です
1+1≦3で親子関係です
望んだとか望まれたとかの感情とは真逆であっても、親子は形成されます

その「血縁の親」が必ずしも「子」を扶養するとも限りません
また、労働して賃金を得ることが自立とも限りません
ですが、完全な扶養を血縁の親が子が労働して賃金を得るまでと仮定します
すると、少なくとも15歳になって最初の3月31日を過ぎるまでは、子は親の扶養となり、親の人生に引きずられることになります

そこまでは、子供にとって親とは無資格なのに絶対的権力者となります

そして、親になったからとて人は狂ってはいけないという法律もありません
人は、誰しも一切の制限を受けずに、狂う権利を自由に与えられています

親にとって、子の扶養と養育は「義務」であり「責務」です

「育ててもらった恩」だとか「親に感謝する気持ち」だとかいうものは「倫理」であって「義務」でも「責務」でもありません

人には誰しも「人としての尊厳を守られる権利」があります

無資格な絶対的権力者である親が狂人だった場合
子は狂人の親から離れて逃げる「権利」があります

■鬼籍の人と存命のモラハラ加害者■

通常、子にとって親は一対しか存在しません
なので、自身の人生において比較対象の複数の「父親」「母親」を実体験では持てません

結果「父親と母親」の2者比較での、好き嫌いの優劣となる場合が多いかと思います
「父親」「母親」を全く独立した個別の物として捉えられる人もいるでしょう
かつ、好き嫌いなどという感情ではなく考えられる人も居るかもしれません
でも、そちらは多数ではないか、ある程度の年齢に到達しないと難しいかと思います

小学5年の時に交通事故死した父が素晴らしかったかと言えば、全くそんなことはありません
痛飲して暴れた父から母を庇った時に、間違いだったとはいえ、私も暴力を振るわれました

ただ、既に鬼籍の父と存命のモラハラ加害者である毒母とでは、消去法で父が好きとなります

現在は、私もある程度の年齢に到達しているので、もう「好き嫌い」ではないですけれど(笑)

西原理恵子さんの娘さんのひよさんが、亡父の苗字の鴨志田に変えたことを「お父さんのことが好きだったから」と言っています

私の家とは、関係性や事情は全く異なります

開示されている情報から見聞きする限りは、ひよさんのこの言葉は何の疑義もない純粋な本心で、一点の曇りも欠点もなく、完璧に全面的な好きだと思います

直接法によるお父さんが好きですね

消去法でも直接法であっても、一方は鬼籍
しかも存命の母親がモラハラ加害者となると、思い出補正も作用して嫌悪と被害の認知が正しくないものになる可能性が懸念されます

過少でも過大でもズレた嫌悪と被害の認知は、抱いている人を苦しめます

■他人には理解されない■

ひよさんによる独白によって西原母娘の件が取り上げられた時

以前、ひよさんが16歳になって卒母宣言した西原さんが
「娘にとって母親など元カレのようだ」という発言をされていたことに対して
「そんなこと言わずに、今、もう一度抱きしめてあげて」
という趣旨のblog記事やコメントをしている方がいたのを見かけました

う~ん、う~ん、う~ん

「ないないないないない!!!!!」

と思ってしまいました

西原さんのように、人生に様々な出来事があった方は多々いるでしょう
ですが、自分の人生をコンテンツとして切り売りする生き方に振り切る人は多くは居ません

確かに、決断して実際にそれを商売として成立させられる商才と精神力は素晴らしいものです
でも、自分自身だけでなく血縁者も含めた周囲の人々まで、手足として自分の生活に引きずり込む

西原さんは、完全に被害者であり加害者、弱者であり強者

モラハラはもう「本能」「本質」みたいなもの
加害者にとって加害言動は、顔を洗うよりも普通、排せつみたいなもの

西原理恵子さんと、鴨志田ひよさんのことは、誰にも解らない

機能不全家庭の純粋培養搾取子として40年以上に渡り毒母と毒姉から尊厳を侵害・侵略・はく奪され続けてきた私にも解らない

私のことも、誰にも解らない

他人には理解されないということを、自分も周囲も腹落ちさせる必要があると思います

理解されないということは孤独ですが、一人ぼっちとは違います
毒家族モラハラの被害者は沢山存在します
孤独ではありますが、仲間は沢山います

■親になってはいけないという思い■

今までの人生の中で、自信をもって、何の反省も後悔もなく「成し遂げた」と言えることは1つしかありません

それは、親にならなかったこと
また、これは私の最大の社会貢献です

私は思春期の頃から、ずうっと思ってきました
「私のような人間が、親になってはいけない」と
先にも書きましたが、子は親の人生に引きずられます

モラハラ」「毒親」「機能不全家庭」という言葉は勿論「親ガチャ」などという言葉が世の中に知れ渡るようになったのは、ここ10年内のことです

私が毒姉を相手方として毒母の扶養に関する家事調停を申し立てた2013年時点は、まだ黎明期だったと思います

芸能人や著名人が自身の生育家庭のこと、いわゆる毒家族のことを語ると、訝しがり批判する人が殆どでした

語る方も、自身も知識が浅く、世の中の認知も低いため、どうしても感情的な話り方をしてしまいます
そして、取り上げる方もエキセントリックでゴシップ的な取り上げ方でした

人は自身の経験以上のことは対応出来ません
そして、誰しも自身の生育家庭以外での生育経験がありません
また、警察は民事不介入ですし、法律と倫理教育で「家族のあるべき姿」みたいなものが強制的に頭と心の中に刷り込まれ、植え付けられています

誰に話しても解ってもらえないどころか、口に出すこともできない

なので私は、自分が母と姉から受けている言動が何というものなのかを知らずに成人を迎え、更に20年以上を過ごしました

「何か」は解らずとも「普通ではない」という認識はありました
そして、そんな私が親になったら、子供を不幸にしてしまうとも思ってきました

その思いが通じたのか解りません
ですが、私は非常に妊娠し辛く、育ちにくい身体となりました

ストレスが原因と思われますが、高校生の時と20代前半で、経血が止まらなくなったことがありました

その2回とも、婦人科の医師に言われました
結婚して子供を望むようなら一度その時に再度検査を受けた方が良いと
現時点では非常に子供をもうけるのが難しい身体ですと

後に、結婚後に調べたら同様のことを言われました
ですが、元夫は強く子供を欲しておらず特に問題にはならなかったのは幸いでした

絶対ということはありません
かつ、客観的合理的な理由はありません
でも、毒親と機能不全家庭は連鎖してしまうようです

私は親にならなかったことでその連鎖を止めました
人口の循環という意味では非生産で消極的ではありますが、立派な社会貢献です