40年超の毒家族搾取モラハラで解った「答え」

■怖いのは何が何でも諦めない異常な執念■

私にとって毒姉は「恐怖の代名詞」でもありました

私に対して詰め寄る時の姉の特徴を以前綴りましたが、姉からの連絡や訪問で、心拍数が高まる思いは数知れずです

それは姉が怒ると怖いからということではありません

私の首を縦に振らせる、自分の思い通りに私を従わせる
そのための執念と根気と手法が恐ろしいからです

自分の気持ちを満たすこと
常に私に勝ち、優位性を示し続けること
それらに対するこだわりは、何とも形容しがたく「恐怖」でしかありません

むしろ「恐怖」という言葉の説明にピッタリなのが「毒姉の執念」という感じです

私は、それは姉が全て意識していることばかりではないと思っています
本人の無意識の本能だと

もちろん機能不全家庭での成育によるものもあるでしょう
ですが、本人にそもそも備わっているものでもあるかと思います

姉の「何が何でも諦めない」という執着と根気
「自分の損は相手の得」「相手の得は自分の損」という私に対する考え方の徹底ぶり
それらは、まさに異常としか言えません

その異常さは「持って生まれたものだから」という言葉である程度片付けないと説明がつきません

私は、3つ違いの毒姉と同じ機能不全家庭で成育しました
なので、モラハラ被害搾取子の私は、姉の異常性は先天的なものだということにでもしないと、気持ちが縛り付けられ続け、壊れてしまいます

むしろ「同じ家で育った」という同一の成育条件という後天的要素
そんなものが「いつか解ってくれる」など、無駄な期待へ繋がさせてしまうのです
そしてモラハラ被害者は気持ちを縛り付けられ、そこから動けなくなってしまう
それは被害をただただ増やし、加害者を増長させるだけなのに

これは、毒姉だけに限りません
毒母に対しても同様です
さらに、世界中のモラハラ加害者の万国共通なことだと思います

最初からヤツらは異常

成育の家庭環境や教育という後天的なものだけではなく、先天的なもの

もともと、毒を持っている生物なんです
そしてその毒は、相手を死に追いやる猛毒

回避するにはそこから逃避するしかありません

■意識や認知が失われるまで進行形のこと■

私以外にも、毒家族についてのblogを綴っている方は沢山いらっしゃいます

たぶん皆さん気持ちを吐き出したり、整理するためにblogを綴るのかと思います
ですが、その度に様々なことを思い出してしまう
気持ちを軽くするための行為のはずが、むしろ辛くなる
そんな方も少なくないのでは?と思っています

2013年2月8日のあの家事調停とその後の絶縁までの40年超の私の人生
機能不全家庭のこと、毒母・毒姉のことをblogに綴ると、私も思い出されてしまい、ひたすら辛くなります

そして、気持ちの芯がそれに引きずられて持っていかれてしまう
いわゆるネガティブ感情というものにガッツリ侵食されて、飲み込まれてしまいます
心と頭が、絶望感と焦燥感が混在したようなものだけになり、支配される
そして、人生そのものを終了させるべく生物学的な死をも考えてしまいます

だったら、書かなきゃいいのに

確かにそれは間違ってはいないと思います
ですが、正しくはありません

私は、毒母・毒姉と実質的な絶縁をして10年です
でも、モラハラ被害は過去形じゃないんです
被害者にとっては、自身が生物学的死を迎える時に、意識や認知が失われるまで忘れられない現在進行形のもの

現在進行形の物だから、書くことで気持ちをどうにか収めるしか仕方がないのです

■過去の被害の「可哀相な自分」に浸っている訳じゃない■

例えば、都市の再開発などにおいて
物質は「スクラップ&ビルド」で、過去と現在が完全に新しい別の物として入れ替わります
ですが、人の体験による記憶はそうはなりません

「いつまでも、終わった昔のことをグダグダ言って」
「そんなことをずうっと言っていては、人生は変わらない」
「未来を考えて、後ろは振り向かず歩んでいかなくちゃ」

そういうことは、解っているんです
むしろ他者から言われずとも自分が一番そう願ってもいるので、そうしたいんです

時間は巻き戻せません
過去の出来事を無かったことにはできません
後退して過去を消すことはできないので、前進して現在を築いていく

ですが、もう元には戻せない、無かったことには出来ないことだからこそ、前に進む時に常にそれらが足枷となり、上手く前に進めない

私の精神は、毒家族というモラハラ加害者によって、幾度も死の淵に立たされ、殺されてきました

私は、この10年間は実質的な絶縁という物理的な距離が確立されてはいます
40年超の支配と隷属の関係からも解放されました
ですが、生物学的な生と死の境目を歩いて行くのは以前と何も変わりません

変わったことは、モラハラ加害者からボロボロになった自尊心を取り戻せたことだけ
今は、これ以上は破損しないようにと、そのボロボロな自尊心を大切に抱えながら、線上を歩き続けているだけです

■情報の拡散と認知は理解という意味ではない■

昨今は「家庭・家族」に対して「協力し合うもの」「話し合えばわかる」というのが絶対的な正しいものだとして押し付ける人は減ってきています

また「親孝行」という考え方も「子供は3歳までの子育て期間中に親に対して、一生分の親孝行を既にし終えている」ということも言われています

さらに、猛毒を持っているモラハラ血縁者という生き物の存在自体も認知されてきています

ですが
「なぜ相手に嫌だという意思を、ハッキリ毅然とした態度で伝えないのか?」
「話の通じない相手なら、なんでとっとと逃げないのか?」
という疑問を投げかける方が、まだまだいらっしゃいます

モラハラ加害者は、被害者の自尊心を侵害・侵略・はく奪してボロボロにします
その状態で逃避の決断と行動に移すのは簡単なことではありません

そして、やっとの思いで無事に逃避した時、加害者から取り戻せた自尊心を見る
するとそれはもうボロボロになってしまっている

失った物はあまりにも大きい
当たり前ですが自責の念が募ります

「もっと、早くに逃げられたかもしれないのに」
「逃げられなかったのは、自分に原因があるのではないか」

周囲が疑問を投じなくても、そういう思いは絶対に消滅も払拭もできず存在しています

ですが時間は巻き戻せない
過去の出来事を無かったことにもできない

「逃避した時が最良のタイミングだった」と納得させて、前進していくしかありません

また、座学の知識人で
「それは共依存だから、あなたもカウンセリングなどを受けた方が良いよ」
というようなアドバイスをして下さる方もいらっしゃったりします

人は、自分自身の経験以外のことは解りません
もしかすると想像すらできないかもしれません
同じような機能不全毒家庭での成育の人同士であっても、他者のことは解りません

例えば、大谷翔平選手のことを、同じ大リーガーであれば解るかと言えば、解らないだろうと思いますよね
事象は全く違いますが、結果としての答えはモラハラの被害もそれと同じです

なので、モラハラ被害者は、誰にも理解はされないという理解が必要です
また、モラハラ被害者のことは、理解できないものなのだと理解してください

(なんだか、小泉進次郎構文みたいで、申し訳ありませんm(__)m)

モラハラ被害者は、座学の知識人の方のご指摘のように「共依存」になっている人が多いとかと思います
加害者の奴隷として、操り人形として、都合よくマインドコントロールされてしまっているのですから「共依存関係」が成立しているのでしょう

だからこそ、モラハラ被害者に解ったような、理解を示せば依存されてしまいます
そして、モラハラ被害者も理解されたと勘違いして依存してしまいます

それでは対象者や形が変わっただけで、いびつなものであるのは何も変わらない

情報の拡散と認知は、理解という意味とは全く違うものです