私、気遣いが出来て思いやりに溢れ常識的なので(笑)

■「プルータス、お前もかっ!」■

義兄とは親しくはありませんでしたが、険悪ということもありませんでした
というよりも険悪にすらなれないほどの距離感でした(笑)

会うのも年に2度ほど
お約束の、お盆と年末年始に姉と共に我が家に訪問してくるというものです

まぁ、それだけの行き来なので、むしろやたらと親しげだったりしたら嫌ですが、口数も少なく人となりは読めない人でした

でも、バツ1独身の私に、知人を紹介しようか?などという、お節介・・・(笑)気遣いまでしてくれる人で、悪い人ではないと思っていました

私は、義兄の連絡先を知りませんでした
義兄とは、ごく一般の義理の兄妹関係です
したがって、個人情報を交換しあうほどの仲ではありませんでした

2013年1月
私は、義兄の勤務企業の代表電話へ、電話をかけました
義妹だと身分を告げて電話を繋いでくれたのも10年前だったからかもしれません

年に2度ほどの親交と姉からの話から、義兄の仕事内容は聞いていました
そこから、一か八かでインターネットを検索
義兄が比較的少ない苗字だったこと
業界と業務内容がドンピシャリだったこと

フルネーム検索で引っかかりました

義兄への連絡は長い熟考の末のもの
最初に女性が電話口に出て、義兄に取り次いでくれました

「私からの手紙が姉宛てに届いているのはご存知ですか?」
開口一番、私は義兄へ尋ねてみました

2012年12月28日
私は、相手方である毒姉の住所地の管轄の家庭裁判所へ家事調停を申立てました

その旨の連絡も含めて、その前後に幾度も配達証明を送っていました
都度、不受理で私の元へ全て返送されて来ていました
なので、受取確認が不要の普通郵便でも同様の物を送っていました

毒姉には配達証明送付の件をメールもしていました

でも、一切の反応がありませんでした

私が申し立てた家事調停の相手方は姉です
ですが、内容は母の扶養に関すること

姉の配偶者である義兄も姉と生計を一にする相手方当事者に該当します
私は、ギリギリまで待ちましたが、結果、義兄へ連絡をすることに

私は、義兄をまともな人だと思っていました
なので、毒姉夫婦から何の連絡もないのは、もしかして義兄は何一つ知らないのかもしれないと思っていました

知らなかったとしたら、こんな電話が勤務中に会社へかかってきたら、たまったもんじゃないだろうなぁ
義兄のことを私なりにおもんぱかって最終的な決断でした

電話口の義兄は
「手紙のことは知っています
でも、いきなり調停などではなく話合いだと思っています
なので、こちらの意向とは違うので連絡をしておりませんでした」
と言いました

私の思惑や気遣いなど、まるっと裏切る斜め上の回答でした

義兄は、知っていて、敢えて私へ連絡をしてこなかったのです

知っていて動かない
こいつも「モラハラ」だ

直接攻撃するばかりがモラハラではありません

無視するのも、立派なモラハラです

こいつはもはや敵
「プルータス、お前もかっ!」という感じでした

■似た者夫婦とはよく言ったもの■

義兄の回答に、私はつい感情的になってしまいました

「では、姉との間に今まで何があったのか、ご存知ですよね?
それでも、話し合いが可能であるとのご判断ですか?
そして、私が固辞をしていて私に問題があるからとのお考えで、無視の状況ですか?

過去に姉は私に売春強要まがいのことをしたんですよ?
実の妹に対して売春強要ですよ

ここは私の契約の賃貸マンションです
我が家の子供は姉と私です
私だけに母の扶養を任せて、金銭的に一切の協力も出来ないと言っています
話合いが成立しないので、調停を選択せざるを得ない状態になってしまったんですよ

それでも、私の判断は間違っているとのことなんですか?」

と、相手が会社の固定電話で話していて、執務室には他の社員もいるかもしれないことなどすっかり失念して言ってしまいました

義兄は答えました
「全て知っていますが、それでもいきなり調停は違うと思っています」

その答えに茫然自失になりました

アンタの中ではこのことはそういうもので、私に折れろってのがアンタ達夫婦の総意の答えなんだね

タイプは違えど、毒姉と義兄は同類の人間だと解りました
アンタタチはそっくりだよ!!

「話し合いならば、自宅以外の場所で、第三者同席で録音もしたうえでのことになりますが、よろしいですか?
それが嫌であれば、調停への対応お願いします
本日は、会社にまでご連絡して申し訳ありませんでした」

そう伝えて電話を切りました
あの時、その後に自身の気持ちと感情の所在をどうやって無理矢理押さえつけて収めたのか、全く思い出せません

何といっても、目の前にはもう一人の加害者である毒母が私の様子を伺いながら座っていましたから

もうグチャグチャでした

ここで義兄とのやり取りによって、感情が乱れて落ち込むようなところを母に少しでも悟られれば、母は明らかに私に寄り添ったフリをして慰めてくる

弱味は一切見せられないし、悟られてもいけない、それは毒母の思うツボ
モラハラ加害者の気持ちを小躍りさせて喜ばせるだけ

■私と同じ思いはして欲しくないという思い■

私は義兄を巻き込みたくありませんでした

巻き込むのであれば、家事調停を申し立てるもっと以前に、姉夫婦が我が家を訪問した際にでも切り出せたことでした

私の結婚と離婚は、私の毒母と毒姉の影響と介入がありました

だから、私と同じ思いはして欲しくなかったのです
夫婦の間を夫と妻という2名以外のことで混乱させたりしたくなかった
ましてや、それで悲しい結果になんてなって欲しくなかったのです

もしダメになるのなら、原因が2人だけの問題じゃないのは絶対にダメだと

まぁ巻き込むことで毒姉から後で難癖をつけられたり、恫喝されるのを回避したかったというのもありますが、それは全体の理由の1割にも当たりません

私、本当に気遣いが出来て思いやりに溢れ常識的なんですよねぇ

■桜色の絵具の下は漆黒■

元夫との交際は非常に有意義な物でした
彼も私に充分愛情を持って接してくれていました
また、互いに仕事も激務ながらも充足していました

でも、私には毒母と毒姉との支配と隷属のような理不尽な関係が継続していました
今思えば、その関係との対比で、彼との関係に退避していたのもあったかと思います

従前からの、逃れられない変わらない現実を見ないようにするため
根幹に脈々と流れる辛いことに、彼とのことを代替として中和させていただけだったと思います

彼と同棲するまでは、そのように元の絵具の色に上に重ねて塗りつぶすことで表面に見える浅い幸せに浸ってしまいました

元の色が漆黒であっても、重ねられた色が桜色ならば、桜色にしか見えません

結局ソレとコレがごっちゃに混在する状態になってしまいました

でも同棲することによってそれまでの「交際」から「生活」へと変わります

彼との関係にも不具合が生じてきます

そして変わらない毒家族との関係
むしろどちらかというと、搾取しようとする言動はさらに踏み込んだものになっていきました

桜色だった絵具が剥がれ落ちて、元の漆黒も露わになってきました

私は、このまま結婚してしまって良い物なのかと、立ち止まります
でも、結婚して生家から独立した夫との戸籍となることで、毒母や毒姉と分離できると思って・・・願って結婚をしました

結婚生活は同棲時代の時に生じたズレや歪みが大きくなっていく一方でした
でも、彼と別れたいとかは思っていませんでした
ただ、私は私自身を見極める時間が必要だと感じていました
私自身を見極めることでソレとコレがごっちゃに混在する状態ではなく、私達夫婦の今後をちゃんと独立した個別の物として考えたかったのです

ですが、結婚生活2年目に入る位で母との同居の話が持ち上がりました

毒母からは泣き落とし
姉からは恫喝
2人の保身の思惑はそれぞれ別なものでした
でも、結論は私達夫婦と母の同居生活というもの

普段は、完全に母に反目している姉も、互いの利害関係が一致しているので、母と共闘を組んで私の首を縦に振らせようとしました

そして、交際時から問題と難がある家庭であることだけは理解していた元夫

でも、元夫はこれが彼の配慮によるものなのか、事なかれ主義によるものなのかは未だに解りませんが、同居に対して異議・反発を唱えることはありませんでした

そして、私の中では混沌としたまま、カオスな状態で私達夫婦と母との同居を開始させてしまいました

私は全くもって不本意だったので、その意は伝え続けていました
でも、モラハラ加害者の2名はそんなのは聞いていないのです
加害者にとっては、答えは自分の出した答えだけ
私には何の選択権も人権もありません

さらに、同居開始前後から立て続けに劣悪な労働環境での企業での就業となってしまい、私は見事に精神のバランスを崩すことになりました

うつ病に罹患した私に対して元夫も毒母も毒姉も「甘え」だと言いました

元夫からは
「どんな会社にも問題はあるのに、そんなんでは何処でも働けないよ」
「会社だけじゃなく自分自身にも何か原因があるんじゃないの?」
と言われました

モラハラ加害者同士は、利害が一致すると常に2対1という状態に私との関係を築きます

結託して数的有利な立場で、うつ病の私に言いました

毒母からは
「被害者意識が強い」
「悲劇のヒロイン」
「自意識過剰」
と言われ

毒姉からは
「病気だと言われたら、こちらは何も言えないじゃない」
「もっとしっかりして」
と言われました

私は、引き続き仕事もしていました
なので、服薬による弛緩で、受け答えや目線が不安定だったり、表情も乏しく、従前のような積極的なコミュニケーションを取ることが出来なかっただけでしたが、このようなことを言われ続けていました

そして、ぶっ壊れてしまいました

その後、私がいくつかの事件を起こして、夫からの離婚の申し出に何も言えないまま離婚となりました

上に塗った桜色の絵具は剥がれ落ちて、漆黒だけとなってしまいました

後悔すれはいくらでも挙げられます

真っ先に挙げられることとすれば、毒母・毒姉と絶縁するなりして完全に分離して介入されない状態にしてから結婚をすれば良かったとか

でも、そんなことは後になってからならいくらでも勝手に言えること

そして、文字通りに出来たとて、良い結果となったとも限りません

その時はそう出来なかった事情があるんです
「タイミング」「符号」それが、あの時はそういう組み合わせだったんです

そうでも思わないと、私は可哀相だし辛過ぎます