三者三様のモラハラ

■今年の冬至は12月22日■

中高年が全てを台無しにし、身を滅ぼしてしまうものの1つ
それが「スピリチュアル」

私は、全面的に傾倒している訳ではありません
身を滅ぼせるほどの原資が存在しないので、傾倒も出来ないっていうね(笑)
既に、今が台無し状態なのかもしれませんしね(;’∀’)

なので、最もいい加減にご都合主義に関わっているタイプですね

自身の努力を一切せずに他力本願的な活用(笑)

スピリチュアルを信じて結実している人はみな、例外なく努力と継続を続けています
スピリチュアルが先ではなく、自身から湧き出る思いと努力が先
あくまでもスピリチュアルはそれを支える補助的な物なんですよね

だから、結果として希望が結実しているんですよね

解っていますとも、えぇ解っています

でも、楽をしたまま幸せになりたいとか思うじゃないですか、俗人なんで(笑)

その「スピリチュアル」でいうところの重要な節目の1つは「冬至」です

■watashino-kakinokoshiの意味■

冬至は変化をする時と言われています

ネガティブな感情が焼き尽くされていくとされます
誠実に自分の気持ちを見つめることで、過去のトラウマなどを手放していけます

あの家事調停から10年です

私のblogのモラハラ関連の記事に対して
「何を10年も前のこと、そして更にそれ以前の昔のことをグダグタと綴っているんだ」
とお思いの方もいらっしゃるかもしれません

どう考えても、読まれる方がハッピーな気持ちになれるものでもないです
また、何か学びのあるものでもありません

ですが、冬至までのお目汚しをお許し頂けると幸いです

12月23日からは、なるべく私のモラハラ被害者史的な人生のふり返り記事は綴らないようにします

書くことは欠くことではないので良い対処法の1つです

でも、過去をふり返り綴っていくのはやっぱりしんどくなってしまいます
書くときに記憶を反芻させなくちゃならないですから、それがキツい

かと言って、書き出さないで自分の中にだけ留めているのもしんどい

定期的に自分の中で溜めたものの発酵が間違って爆発しそうになるんですよね
上手に熟成されていかないんですよ

厄介だなぁ~

有益情報を綴っていくのがblogのお約束になっているような近年

こんな自慰行為blogは、本当は誰一人読んでいないかもしれない
単に、巡回でスターを付しているだけなのかもしれない(´;ω;`)

でも、watashino-kakinokoshiですから(笑)

このblogは陽の目をみることはないでしょう
でも、いや、むしろだからこその自己満足乙で孤独な私のデジタル遺書なのです

■私のみごとなまでの3連敗のお話■

何故か、昨今は「3タテ」というと3連勝のようです

これから綴るのは本来の意味の3連敗の3タテの出来事です

モラハラ加害者には話し合いというものが存在しません
全ての基準は、勝ち負けです

勝つためならば、どれだけ理不尽で身勝手であっても加害者の中では正しいこと
自分の考え、自分の答えだけが正しい

なので、むしろ理不尽で身勝手な言動をたたみかけて相手が疲弊・閉口して自身に従うところまで、計算ではなく本能で行います

そして勝てないとなれば、恫喝しその場から出ていき場面を紛糾させて強制終了とする

強制終了により持ち越して、結果、相手が自身に従うまでそれを繰り返す

勝つために傾ける情熱と執念はもはや常人ではありません

モラハラって手段が1つしかないんですよね
しかも、それは「解決手段」とは言えないもの

なぜかと言えば、モラハラ加害者は変わらないから
モラハラ加害者は毒を持った生物ですから

なので被害者は「逃避」しかないんですよ

納得いかないですよね?
被害者の選択肢は逃避しかないなんて
加害者からの謝罪も聞けないなんて

理不尽の塊のモラハラに解決は存在しません

これは、2012年11月5日から2013年1月30日までの3ヶ月の出来事です

■私が鬼ならアンタは何だよ■

2012年12月2日のまもなく7時になる早朝6時台のこと

毒母の携帯に電話が
相手は、毒姉でした

その一月前の11月5日から3度、私から毒姉に配達証明郵便を送付していました

内容は、40年超のモラハラと10年間の毒母扶養の協力金精算及び今後の扶養に関する費用に対する事実確認と質疑応答です

文書は計17枚、別途添付の質問等の書面は計13枚、その質問数は計201問

配達証明の不受理による返送もありましたので、質問数は多少の重複も含まれますが150問は下りませんでした

私は、それまでの毒姉のあまりの独善的な言動から、書面での回答を求めていました

毒姉からはみごとに配達証明郵便は不受理でしたので、受取確認不要の普通郵便も別途送っていました

そして郵便を見た毒姉が脱兎の如く早朝電凸だったのが、2012年12月2日

毒姉の自宅からの逆算だと始発でやってきたのだと思います

そんなのはどうでも良いんですよ、何時に電車に乗って来たかなんてね
朝一の自宅訪問なんて、誠意どころか身勝手な大迷惑でしかないですから

まず私は事前に、お願いベースで伝えてありました
「私と毒母が同居の私の契約賃貸マンションへの訪問は控えて欲しい」
「毒母のことも、この書面の件で個別に電話等で連絡をしたり呼び出しをしたりするのは控えて欲しい」
「全ては書面で回答として下さい」

その私の懇願も一切聞き入れず、自宅訪問ですよ
自分の気持ちだけなんですよ
私の送った書面何て、真の意味で読んでなんていないんですよ

呆れて早朝から血管が切れるかと思いました

毒母に対して
「マンションの前まで来ているから、会って一度話しをさせて下さい」
との電話でした

モラハラ加害者同士のAとBによる電話なんて、いくらでも言った言わない話が創作出来ます

なので私は、姉に対して母への電話連絡ではなく私へのmailでの連絡に切替えて貰いました

そして、自宅への訪問も私の面会も禁止と拒絶をしました
「全ては書面でお願いします」と

ですが、私が送った書面の、私と姉の2者間のことと、扶養を含めた私と母と姉の3者間のこと以外の、毒母と毒姉の2人だけのことであれば私は制限する権利がないので2人で決めて欲しいと伝えました

でも、この家は私が世帯主の賃貸マンションなので、ここでは面会させないという条件を提示して

すると、毒母が私に言いました
「こんな真冬の寒空に、私に外へ出ろって言うの?アンタは鬼か!」

毒姉の身勝手極まりない電凸でも血管切れそうだったのに、私の人権や自尊心を完全に無視した毒母の発言

沸点が振り切れて、感情というものが一瞬無くなってしまいました

「会う会わないは2人の問題だから、外に出るのが嫌なら会わなければ良いのでは?」
「もし、会うならICレコーダーに会話を録音してね」

とICレコーダーを毒母に渡して、私は自室に入りました

結局、毒母と毒姉は2者面談をドトールで行ったそうです

ICレコーダーですが全く録音出来ていませんでした
というかスイッチを入れ忘れたとの毒母の弁でした

毒母が私へ伝えた毒姉との2者面談時の毒姉の様子や言動は、真偽不明です
かつ、毒姉が言ったとされることは見事に反故にされています

毒母による、私への「鬼」発言も、ICレコーダーのスイッチの入れ忘れも、全て私の思いは敢えて綴りません

■早朝に電凸しておいて「明けましておめでとうございます」■

2012年12月2日の姉の早朝の電凸訪問は、そうとう慌てての行動だったのか何なのかは解りません

こちらかの気持ちを斟酌しないどころか、依頼事項を一切無視
人権蹂躙するような相手のことを解る必要などないですからね

毒母による真偽不明な話は次のようでした
「40年超のモラハラと自身の非は全面的に認める」
「私からの要求には全て従う」
「私の手紙への書面による返信を必ずする」

結局、その後、待てど暮らせど何も書面など届きませんでした

なので、「このままだと法的手段に移行しますよ」という趣旨の手紙も配達証明で送りました

でも、これも全て不受理で返送されてきたんですよね

結果として2012年12月28日に家事調停の申立てとなりました

また、その旨についても連絡もしました

しかしながら、これにも無反応
一瞬、死んだのか?とすら思いました(笑)

すると2013年1月2日の10時55分22秒に私の携帯に1通の件名なしメールが毒姉から届きました

「明けましておめでとうございます
今年は伺うことが叶わないかと思いますのでメールいたします
扶養の件に関しましては、もう一度話し合うこと、できますでしょうか?
寒さも厳しくなる折、お身体くれぐれも大切に」

これは原文ママです

なにからツッコんだらよいのでしょうね?
最後の結びの、いかにもな文言も含めてね(笑)
アンタが私の身体をぶっ壊しにきているんだけどね、それ何なら意図的?(笑)
むしろ、ツッコまないで済む箇所が皆無の、お手本のようなモラハラ加害者メールです

今までの経緯が解らなければ、非常に常識的な人の丁寧で、へり下った文言ですよ

師走の早朝電凸自宅訪問も、その際の約束に対する反故も、その後の対応も、新年のメールも全ての私に対する不法行為についての私の思いは敢えて綴りません

■どの面さげてご自愛くださいだ■

毒姉は、2013年1月2日の「明けましておめでとうございます」のあと、またパタりとだんまりに戻ってしまい、私は意を決して義兄へ接触することにしました

2013年の1月の初旬に、義兄の勤務先へ私が電凸した後、毒姉夫婦からは相変わらずの何のアクションもありません

従前からの依頼であった、私の手紙に対する書面による返信もありません

そんな時、2013年1月30日に1通の手紙が届きました
宛先は私で、差出人は義兄でした

「拝啓

  先日お電話でお話しした調停の件でご連絡させていただきます
 ●●●(←毒姉の名前)は、調停に出席します
 調停で第三者を入れて双方の話し合いにより解決することを願っております
  まだまだ寒さ厳しいですがくれぐれもお身体をご自愛ください 

                                  敬具」

こちらも原文ママです

似た者夫婦だと以前綴りましたが、こちらも何おかいわんやですよ

まぁ、本当に非常に常識的な人の丁寧で、へり下った文言ですこと

ご夫妻で私の身体の心配をして下さる配慮があるならば、書面で返信してよ!!

義兄に関しても、電話での話と、この手紙についての私の思いは敢えて綴りません

■ここがどん底ではなかった■

この3ヶ月のこれらの出来事

私はその都度、平気ではありませんでした
気持ちは乱れっぱなしです

「なぜ、私のあの40年超をまとめた手紙について書面で返信しないの?」

「私は、最後の最後までどうしてこんなに惨めな思いをさせられなければならないの?」

そんな私は2013年2月8日の家事調停で、更に調停委員・裁判官・相手方の弁護士によって、世界中で一番みじめな人間にされるのでした

「10年前のことなのだからもう忘れたらよい」そう言う人もいるでしょう

忘れていますよ、そんなに鮮明に枝葉末節まで微に入り細に入り覚えてなんていません
なんなら、覚えていたりしたら普通ではいられないでしょうしね

ただ、完全に失念などできる訳などありません

ここに至るまで40年超の血縁者モラハラが継続していたんですよ
文書は計17枚、別途添付の質問等の書面は計13枚、その質問数は計201問です
A4に限りなく文字間も行間も詰めた状態の物です
それだけ人権蹂躙があったんです、失念なんてとてもできない

これは私が生物学的死を迎える時に、意識や認知が失われるまで忘れられはしないでしょう