貴女はこのことを覚えていますか? ~毒姉編四部作 其ノ弐~

■これは1つの親孝行の意を形にしたもの■

私が、正しい実態としては、自身は被害者であり何の責任も義務もない「空ローン」の返済を決めた理由

それは、物理的に母の返済能力における原資の限界問題も当然でしたが、他の理由もありました

そもそも、母が会社経営をするに至ったのは、私や姉の進学の資金捻出のため

姉の、美大受験浪人中の費用も、美大の費用も、英国留学の費用も、私の短大の費用も、全ては母がまかないました

小学5年の時に交通事故死した父は、残念ながら債務の方を多く残して亡くなっています

子供達の進学に対する、母子家庭の母親である母の虚栄心やらなんやらはあったでしょう

ですが、きっとそれが100%、360度全てではなかったと思っています(希望的観測含む)

なので、私にはいくつかの思いがありました
「母の会社があったから進学が出来た」という気持ち
それは「母の愛情」だという気持ち

だから「空ローン」の返済を決めました

母がした行為は、その後の母の言動なども含めると到底許せるものではありませんでした

ですが「ソレ」と「コレ」は違います

私は、私なりの母に対する感謝の意を形にしたいとの思いの結果の決断でした

そこに、愛犬の死という悲しい出来事が重なって起きてしまいました

■今にして思えばあの提案は地獄の提案でしかなかった■

一人暮らしを考えていた私に母からの提案がありました
それは、都内で一人暮らしをする姉と、私が一緒に共同生活するというものでした

母は、愛犬を亡くし、一人暮らしをして今後借金の返済もしていく私の事が心配だと
姉妹で一緒に暮らせば互いに助け合っていけて心強いだろうと

私は正直、絶対に嫌でした
姉は、自分のことしか考えず、それを棚に上げて、私の空ローン返済に対して「自分で勝手に決めたこと」だからと言い放った人です

そして、まず何しろ姉が反発をして受け入れるとは思っていませんでした

当時私は、その後管理系という職種ながら、昼夜関係のない働き方をすることになるとは全く想像もしていない、ワークライフバランスが取れた仕事の働き方をしていました(笑)

まだその時は親戚の家の居候の身だったので、私は昼間しか働いてはいませんでした
ですが、一人暮らしをして昼夜のダブルワークによって返済へ充当する目論見でした

私自身の生活の時間が不規則となるのは想定の範囲です

さらに、姉はグラフィックデザイナーです
クリエイティブ職は、業務の特殊性から専門業務の裁量労働者として、36協定の適用除外
したがって、昼夜関係のないブラック職種です

そんな状態で、共同生活などとても考えられません

■テレビに触り「テレビ見ていたでしょ」と視聴禁止を命ずる姉■

実は、それ以前に過去に姉の元で過ごしたことがありました
まだ、姉がグラフィックデザイナーの職に就く前のことです
受験生の私は夏休みを利用して、東京の予備校の夏期講習を受けるべく姉の所に身を寄せました

その時の姉の傍若無人ぶりを私は忘れていませんでした

仕事から帰宅すると姉はテレビに触れます
そうしてテレビの熱を感じると「テレビを見ていた」と指摘するのです
受験勉強の一環で来ているのだから、テレビを勝手に見るなと
併せて、電気代が高くなるからクーラーは極力使用するなと
真夏の埼玉県新座市でのことです
クーラー使用禁止はどうかと思いますけれどね

また、私はお世話になるのだからと、食事当番を申し出ました
ですが、毎日毎日何だかんだとケチをつける
あの期間中、褒められたことは一度たりともありませんでした

しまいには、私を預かるに当たって母からは一銭も貰っていないと
なので、私は母から小遣いとして貰ってきたお金を姉に渡しました
でも「こんなんじゃぁ足りない」と言いました

そのことで引け目に感じる私に対して、それを察して姉はどんどん増長

今のように情報が安易に豊富に入手できる世の中ではありません
地方で生活する者にとっては東京での生活にどの位のお金がかかるものか?など解らないんですよ
相手が「足りない」と言ってきたら
そしてこちらの内訳要求に対して、一重&三白眼の冷たい表情で「私が嘘を言っているって言うのか!」などと詰められれば、何も言えません
2人きりの閉鎖的な逃げ場のない生活の中では何も言えません

モラハラ加害者の毒姉は何もかも解っていたんですよ
私は、経済的に余裕があるわけでもない我が家で、夏期講習代を払って貰いました
だから、無駄にするわけにはいきませんでした
姉は、私がどんなことでも我慢してその期間を過ごすだろうと読んでいたんです
母にも心配をかけまいと、愚痴をこぼすこともないだろうと

だから、自分の好きなようにできるだろうと

実際は、一銭も貰っていないというのは姉の嘘

私は、流石に堪えられず、あまりの酷い扱いの窮状を母に訴えました
すると、事前に母から姉にお金が振り込まれていたことが発覚

その件で母は姉を酷く叱責しました
なので、姉は私との共同生活を拒否すると思っていました

かつ、姉との共同生活を提案する母に、この時の一件を引き合いに出し、強い懸念材料であるとも主張しました

■毒の2人とも「私のため」「家族のため」って言っていたよね■

でも、全くの予想外だったことに、姉は母の提案に賛成しました
賛成というより、もっと積極的な賛同という感じでした

姉は、自分が空ローンの被害者であることに変わりはないので、自分の判断と姿勢は変えられないが、同様の被害者の妹だけに返済をさせるのは心苦しいと
二人での生活により経済的にも多少は節約にもなるだろうし、助け合いたいと
しかも、自分の仕事の時間が不規則なのに対して、なるべく生活に支障が起きないように心掛けるし、気遣うと

また、あの夏の埼玉県新座市でのことについても改めて謝罪をしてきました

その時の私にとって良くも悪くも愛犬の死が、姉との共同生活という決断に影響を与えていました

このまま私が一人暮らしをしてしまえば、その時点でこの家は完全にバラバラになる
それは想像に難くありませんでした

でも、母も姉も「私のため」「家族のため」と言って共同生活を提案してきました

私は思いました
姉との共同生活をすることが正しいと
一人暮らしは単なる「私のワガママ」だと

でも、これは後に毒母も毒姉も「私のため」でも「家族のため」でもなんでもなかったって知ることになるんですよ(笑)

■お願いだから死んでくれと毎晩電話■

私は、ダブルワークとして水商売を選びました
平日の1日と金・土で、自宅マンション近くの、極めてスナック寄りのラウンジで働きながら、2DKのマンションで、姉との共同生活をしていました

姉の空ローンの返済は、一旦、毎月の支払を姉が立て替えて、母が姉の口座へ振込む
という流れになっていました

もう30年程前のことです
今と比較すると、金融機関のサービスの自由度は高くありませんでした

窓口の営業時間に間に合わないと、振込は出来ません
また、当日でも午後の振込は翌日着金となってしまいます
しかも、都市銀行同士ではない「他行宛」となると月末日のように取扱量の多い日などの場合、前日以前の持込みでなければ月末日の着金は確実ではありませんでした

なので、期日に余裕を持たせても「家族だから」良いのではないか?と甘い私は思ったりしていました

ですが、姉は違いました

姉は仕事の合間を縫って、月末には必ず通帳記帳のために銀行へ出向く

そして、母からの振込の有無を確認

振込の実態を確認できなければ、その日の帰宅が終電以降のタクシーによる帰宅となった深夜でも、必ず母へ電話をするという徹底ぶり
それは徹底というより、執念としか思いようがありません

姉の記帳時間によっては、未記帳となるタイミングもあります
でも、そんなのは、姉にとっては全く関係のないこと
あくまでも「自分」が基準

「入金ないんだけれど」と入金催促の電話
その時に欠かさず言う言葉がありました
「お願いだから死んでくれ」というもの

そこから、無関係な古い出来事やらかんやらを、不満として延々と述べて、電話口の母を詰めていきます

それを、壁を隔てた隣室で、聞きたくなくとも、強制的に聞かされる私

さらに私は、自分の契約分は自分で返済をしていました
ダブルワークで不規則な生活をしながら
被害者であるという立場は、姉と一緒なのに

そして、母に対する「お願いだから死んでくれ」電話は、月末日に限りませんでした
たぶん、本人のストレスのはけ口でもあったのかもしれません

なんといっても、家族に対するモラハラ毒人間は、家族以外には非常に常識的に振る舞います

もともと猛毒を持っている尊大過ぎる自尊心の自己愛モンスターです

外で常識的に振る舞う時に、相手が理不尽だったりすると、そのストレスは家族に対するモラハラ言動として向かっていくのかもしれません

毎晩のように母に電話をしては言うのでした
「空ローンをした犯罪者」
「娘の名前を勝手に使って、信用を勝手に利用してダメにしたのだから死んで詫びろ」

そんな時に、私は後に結婚(そして離婚)することとなる元夫と出会いました

貴女はこのことを覚えていますか? ~毒姉編四部作 其ノ壱~

■雨の日はタクシー通学の女子高生■

姉は、本人も気にするところの、くせ毛でした

でもね、贔屓目でもなんでもなく、ふわっとしていて悪くなかったんですよ
私は、個人的に、私の真っ直ぐなしっかりした、いつでも重厚感髪質より好きでした
無い物ねだりなだけかもしれませんけれどね(笑)

ただ、ご本人は全く好みじゃぁなかったみたいでした

そして、本人の気になり度の頂点は高校生の時だったのでしょう

今でも、比較的時間とお金のかかる施術の縮毛矯正ですが、昭和なら更にです(^^;

まぁ、でも「それも」当然いたしておりました

「それも」と言うのは「他も」あったからです

私が、成人まで過ごした都道府県は太平洋側に面する温暖で有名な場所です
しかしながら、私が過ごした街は積雪のある山間部でした
確かに夏は涼しいのですが、山なんで年間の降雨量とかそこそこあるんです
きっと県自体は晴れが多いとは思うのですが、私のいた土地はジメっとしていました

姉は、地域でも上位校に進学しました
地方の閉塞感の強い街のこと
地元の親達にとっては、その高校に子供が進学するのが「自慢」になるような高校
親の優越感も充たしてくれる高校への進学でした

当時の自宅から姉の高校までは3㎞ほどだったと思います
姉は普段は自転車通学を主体にしていました

ただ、問題は雨の日なんですよ

なんとね、タクシーで通学しちゃうんですよ

母は自動車免許を取得していませんでした

でも、バスという手段だってあるんですよ
なのに、髪の毛が濡れるのが嫌なんでしょうけれど、タクシーとはね(^^;

どこぞの御令嬢か?という感じでしかありませんよね
「あのこは貴族」 山内マリコ 著 かよっ!!(笑)

そんなワガママを許す母も母なんですが・・・
母は四人姉妹の長女です
たぶん、母の生家では長女である母が一番我慢を強いられてきたのかもしれません

それも母の心象風景と深層心理にあったのでしょうね
なので、自身の実子の内の長女である姉のワガママを聞き入れていた気がします

(全くもって想像の域からは脱することが出来ませんが、母とその生家のことについては別な時に綴りたいと思います)

私のワガママは、日々の非常に小さい「今日のおやつはこれが食べたい」とかそういうものでした

それに対して姉の場合は、何と言うか象徴的な事象として、節目節目での大きなことというか、姉の性格や我が家のいびつさをそのまま表しているような事柄ばかりでした

その事象の中の1つは、このタクシー通学

ちなみに、我が家は絶賛母子家庭中(笑)

水道は命の水ですから、最後の砦でもあるのでかろうじて止まりませんでした
ですが、電気とガスは止まることはしばしばというインフラ不安定供給貧困家庭でした
何しろ私自身が、窓口へ支払をしに行ったりもしていましたからね(笑)

そんなお家で、お姉ちゃんは雨に濡れると自分のくせ毛が酷くなるからってタクシーで登校しちゃうんですよね

年間で平準化したら大した金額ではないんですよ、確かに
でも、そういう話じゃないですよね

それが、止められないんですよ

止められないのは母にも問題がある
そして、同様に止めずに押し通すのは姉にも問題がある

「問題」と思っているのは、きっとモラハラ被害者の私だけでしょうけれど(笑)

もう当時の毒母と毒姉のやりとりの枝葉末節なんて覚えていません
ただ、姉が屁理屈にすらならないことを言い出して、収集しかない状態になっていた
そういうのは覚えています

父の存命時に常に父母が夫婦喧嘩をしていたこと
原因が父の暴力だったのか何だったのか、母が2度に渡り子供達を置いて出奔したこと
内1度は、私だけを共に連れて姉は置いて行かれたこと
その他様々な過去の我が家でのことなども引き合いに出して、喚き散らしていました

そうやって、母からお金をもぎ取って、雨の日にタクシー通学です

そんな家庭で、中学生の私は努めて明るくしていたんですよね
家でも、学校でもね
そうしたら「担任から悲壮感に欠けると指摘」されちゃうという15歳の悲劇ですよ

■被害者はアンタだけじゃなくて私も一緒なんだけどね■

「空ローン」という言葉をご存知でしょうか?
架空ローンやオーバーリースローンも呼ばれるものです

ローン組んだように見せかけて、金融機関を騙しお金を工面する方法
資金繰りに困った自営業者が使う手法です

それは、誰が悪いかと言えば毒母なことは間違いないことでした

でも、被害者なのは毒姉だけではなく、全く等しく私も被害者でした

母は自身が経営していた会社の資金繰りに苦慮していました
そして、その誘いに乗ってしまいました

車の空ローンです

契約者は、姉と私、各々でした

ですが、そんな事を契約者のはずの私達は知りませんでした
私も姉も契約書の署名はもちろんのこと、書類すら見たこともなかったのですから(笑)

ではなぜそれが白日の下となったかと言えば、返済が滞り保証人へ信販会社から連絡が行ったからです

保証人は、母方の叔母達がなっていました
叔母達へは母からどのような説明がなされて、署名捺印+印鑑証明等必要書類提出という流れになったのかは知りません

信販会社からの連絡で驚いた叔母達から、問い合わせの電話が姉と私にかかってきました
「どうなっているの?ただ、保証人になってくれたら良いだけって言われて、協力してあげたのに、返済が滞っているって言われて困るんだけれど」
というような内容の主張でした

当時、叔母達はもう40代でしたし、不足のない大人
でも、母に騙されたとして、ひたすら怒りと自身への被害に対する保身で感情をぶつけてくるだけでした

被害者なのは、間違ってはいないけれどね・・・
なんというか、両名とも配偶者もしくは本人が事業をしていたりした人でしたから、なんというかあまりにバカというか・・・
反応と対応と対処が幼稚というか・・・

この方達についても、別な機会に綴りましょう(笑)

契約者となっている私と姉の署名は、母の物でした
立派な私文書偽造
母親が子供の名前を勝手に使ってお金を借りちゃった詐欺行為です
母の行為は告発をすれば「刑事事件」

「事実」は1つです
ですが「真実」は個々に存在して、自分本位な視点からでしかないので、何ならいくらでも脚色も可能です

なので「真実」なんてものはどうだって良いんですよ

既に空ローンによる契約は履行されていました
そういう「事件的な事実」とセットで、債務者としての「返済義務の事実」がありました

姉は、正論主張をします
「自分は被害者であり、返済の義務は一切ない」

それは、間違ってないんですよ、貴女は正しいです

ただね、書類上は私達個々の契約になっちゃっているんですよね

■みんな私より年上の人生経験豊富な大人なんだから頭使ってよ■

母は、自身の名前の信用では、もうどうにもお金にならないから、娘の信用に手を出したわけです
したがって、母には他にも返済しなくてはならない債務がありました

まずは、どうやって返済するか?これ考えなきゃどうしようもないじゃないですか!!

そしてね、無い袖は振れないじゃないですか

その結果、被害者の私は、自身の契約となっているその空ローンの返済をするという選択に振り切りました

その時ね、毒姉は言ったんですよ、私に対して
「自分で返済するって決めたのは、アンタの勝手だから」

なんでしょうね
もう何と言うか、姉に対しての感情は何も沸いてきませんでしたね
気持ちが固まってしまったというか、心はどこかに飛んでいきましたね

う~ん、私の勝手かぁ~

その時の私は20代前半で、当事者の中では一番若かったんですけれどね

年上の方々が、みんな責任擦り付けて逃げちゃうから
全員「解決方法は何かないのか?」という思考を巡らせてみるという行為を、まるっと放棄しちゃいましたから

「おい、契約は履行されて、金は動いてるんだよ!!」
「返済義務は既に生じてるんだよ!!」
「そして、他にも借金はあるんだよ!!」

って、そこから考えていかなくちゃならないんだと思ったんですけれどね

私は「自分で勝手に決めた」返済のために、ダブルワークも視野に入れないとならないなぁという考えに至っていました

でも、こんなクソな母親と同居を続けていける訳はなく、家を出ようとも思っていました

感情的に、一分一秒でも早く離れたかったというのが正しかったと思います

とはいえ、時代は足で家を探す世の中でした
かつ、不動産業者は賃貸であっても「手付金・申込金」を要求するのが通常
そんな時代に、働きながらの家探し
今日明日ですぐに家が見つかる訳でもありませんでした

その時、空ローンの保証人になっていた叔母の内の1人の配偶者である、私とは血縁のない叔父が言ってくれました

「引っ越し先が決まるまで、嫌じゃなければ我が家に来たらどうか」

有難い提案でした
私はお言葉に甘えて、その家に一時的にお世話になることとさせてもらいました

そして、その私の決断が愛犬との別れとなることに

悲壮感がなきゃダメなんですか?

■時代は「でもしか」先生の頃■

これは、毒母と毒姉の家事調停とは無関係な出来事です

これも今にして思えば、立派なハラスメント発言
その発言によって、毒母に詰められることになったという顛末

私が中学3年生の時の出来事です
15歳の時に言われた言葉を覚えているということは、よほど感動したか、よほど疑義や嫌悪や憤慨のどれかだったんでしょうね(笑)

当時の私の担任は、夫妻で教員でした

地方の小さい街などは、小中学校が隣接していることなどよくあること
なので、夫妻の何れかが小学校教員で、もう一方が中学校教員というケースは多くはなくても、珍しくはありません

私の場合は夫側が担任でした

その教員の担当教科は「理科」
したがって、担任になる以前から授業での接点はありました
また、それまで自分のクラス担任ではありませんでしたが、同じ学年の他のクラスの担任だったので、理科の授業以外でも多少の関わりはありました

ハッキリ言って、もともと嫌いな教員でした
なので、担任の発表があった時は非常に嫌でした

その担任は、朝から異常な位にピリビリとしていたりする日がよくありました
理不尽に明後日な方向の話題から生徒を叱責
まるで生徒に当たり散らして発散しているのでは?と思わせるような人物
生徒の方が顔色を窺わなくてはならないような教員でした

例えば出勤前に自宅で夫婦喧嘩でもしたんだろうな?というようなことが生徒側が想像できてしまう
いえ、想像したり、斟酌しなければならないような人でした

ご存命ならば70代半ばでしょう

これは全ての教員に対する批判ではありません

子供の数に対して教員不足だった第二次大戦終結から高度経済成長期(おおむね1950年代から1970年代)
教員の採用枠は急増し、教員の志願者のほとんどが容易に就職できた時代がありました

なので、時代的に「でもしか先生」と称される人が多く生産・生息した時代の教育現場です

私の担任の教員は、どのような志で教育者という職に就くこととしたのかは知りませんが、そんな時代の話です

これは士業や代議士に共通なことでもあります
何の社会人経験もないまま周囲から「先生」と呼ばれる

教員の人間的な未熟さは、対峙する側の、児童・生徒・学生が「空気を読んであげる」
それも相手の立場に立つという大切な「教え」かもしれませんけれどね(^^;

■ちょっとだけファミリーヒストリー

私の母方の祖父は、高校の数学と物理を担当教科とする教員でした
そして優秀だったそう
早々に順調に昇進を果たして、当時の「最年少校長」ということで、双六の上がりをされた方です
(ちなみに、最年少の裏付けは、単なる周囲の話で、本人の弁でもありません)

我が家は、父方母方の両方と疎遠でした
母方に関しては、それまでの母と実家の関係もあったのでしょう
さらに、父母の結婚で何らかのことがあったようで、父が交通事故で亡くなるまでは、母方の祖父母は既に他界していると聞かされて育ちました

なので、幼少期に何の接点も無かった人々と急に私は小学校6年生で、対面
そうなると、関係性はなかなか寒々しいもの(笑)

あとね、子供の私からしたら、大人が何の説明もしないのが納得いかないんですよね
からしたら、自分の父親が亡くなった途端に連絡してきた母方の血縁者ですから

したがって、あまり会話を交わしたことも面識も多くはありません
そんな数少ない交流では、ちゃんと本人の口から得た情報など何もありません

主に、母からの話になるので真偽は不明ですが、聞くところによれば
北海道のごく小さな町の町長の長男として生まれ、坊ちゃんは成績が優秀だったそう
いわゆる「神童」という類の人でしょうね
特に、物理が好きで、本当は「研究者」になりたかったんだとか
そうして東京理科大に進学するも、井の中の蛙だったことを思い知らされる
自分程度の能力ではとてもじゃないが、研究者にはなれない
でも、大好きな数学や物理のことは個人的探究として勉強と研究を続けたい

そこで、選んだ仕事が高校教員だったそう

高校の教員であれば、教科指導だけで済み、他の時間は自分の好きな数学や物理に向き合っていける
なので、最初は「教える」ことも通り一遍で教科書を説明するだけ
でも、そのうち生徒と対峙する間に教科の教鞭をとることにやりがいを感じるように

なので、本人は、教科の教鞭をとることが好きで、昇進は望んでいなかったんだとか
でも外圧によって望まず偉くなってしまったそう(^^;

ご本人は、いつまでも現場の教育で受験生を希望の大学合格に導き、これからの人達の夢の手助けをし続けたかったみたいです

まぁ、時代背景的な、大学進学率やら教員の地位なども勘案すると、生徒がより良い大学に進学すれば教員の功名たるや、それは何おか言わんやでしょうしね(笑)

母は、周囲から「先生、先生」と言われる、教員の中でも優秀なそんな私の祖父を見て育ちました

母は戦中・戦後に誕生した世代です
「先生の言う事は絶対に正しい」
「教職とは聖職」
という「先生様様」な時代の人です

なので、教員という職業の人に対して複雑な感情を持っていたのだと思います

他の教員からも敬われ、尊敬に値する祖父
相反して家庭の中では、時に祖母に詰められる祖父
(別な機会に綴りますが、祖母はなかなかな毒成分の高い人)
そんな人を身近に見続ける

「教員の家」ということで周囲の目という世間体を気にする祖母
子供に対する教育も、教員の子供らしく成績も生活態度も良い子供として律して厳しく

まぁ、もし感受性が乏しい子であっても、なかなか生きづらかっただろうなぁと、その辺りは想像に難くないですね

母の実家は北海道なのですが、祖父母は長女である母に「北海道大学」以外の進学を認めなかったそうです
じぃさん東京理科大なのに、娘には旧帝大以外は受験もさせないとか、なかなか鬼です(笑)

その時代はそういう家は珍しくはなかったのかもしれません
それでも、その1つのエピソードだけでも、祖父母もなかなかな毒親だったのだろうと

■母子家庭の子は悲壮感がなきゃダメなの?■

それは私の中学3年生の時の三者面談の時でした

担任は、何を思ったのか、何の意図があったのか、私と横並びで対面で座る母に対して

「〇〇〇さん(←私の名前)は、母子家庭の子なのに悲壮感が足りないんですよね」

と言いました

ん?いったい何を言っているのか、まずは意味不明

担任は、自身の生家はあまり裕福ではなかったようで、そのような話も度々ホームルームでしていました

そこからいわゆる自身の苦労話と、親孝行を生徒へ促す講和という流れでした

そんな担任先生様からしたら「片親の子」「母子家庭の子」の定義像があるんでしょう
それと私が違っていると

しかし、だから何?というところなんですけれどね

頭が「???」の私の隣に鎮座する毒母
彼女にはそのヒトコトは、私とは全く違うように届いたようでした

私には、母が不機嫌なのが空気感で伝わりました

教室と学校を母と共に後にして開口一番

「あれは、どういうこと?」
と母が私の方に向いて言いました

その「どういうこと?」という怒りは2通りの意味がありました

まず、担任に対して
「何も解っていない他人に、そんなことを言われる筋合いはない」
そして私に
「なんでそんなことを言われるような学校生活態度なのか」

でも「恥をかかされた」と思っている母
彼女にとったら「私がいけない」ということなんですよね

全責任は、娘の私にある
娘のせいで自分は娘の担任から恥をかかされた

そういうことなんですよね

私はいつものように「母の納得いく答え」を探す
ですが、担任の主観による私に対する悲壮感の有無に理由などある訳がない
かつ、もし理由が存在したとて、だから何?案件なだけ

結局、私はひたすら母の怒りを鎮めるために謝罪をするだけでした

なんで謝っているのかなんて解らない

ただ、それは私の家では通常運転でしたから、ひたすら謝りました

私の謝罪の間、母が私へぶつける発言
それらは私の魂を引っこ抜いて、感情をバカにしてしまう、私を人形にさせるようなものばかり
それも、いつものこと

「きっと、この人の前で今私が飛び降りたり、頸動脈を切って死んだら、この人は満足なんだろうなぁ」

なんて、私を叱責する母を見て思いながら、ひたすら謝罪をする

■まさに「おしえて先生!!」■

この件については、私にとっては疑問がありすぎ
なんなら疑問でしかない、担任と毒母という大人達による、中学3年生の私に対する言動

別に今更の弁明は不要ではあります
ただ、私のために弁明させて頂きます!!(笑)

私はその地域において中途半端な進学校に行けるほどの成績ではあったので中学の成績は良い方でした

風紀や生活指導的なことでも母が個別に学校に呼ばれたりなんてことは一度もない、時々廊下を走ったりして注意を受けたりする程度の、ごく普通の子です

あとね、あの時代の地方のちっぽけな街なんて「片親」って多くないんですよ
我が家のような死別であっても、すっごく少ない

かつ、我が家の実態を考えたら、努めて明るく振る舞うのは私にとっては物凄い努力の薫物だったんですけれどね

「母子家庭なのに悲壮感が感じられない」

これは、本来私自身にとっては、最大の誉め言葉になるものだったんですけれどね

なんかね、先生も親も違っていたみたい
悲壮感漂わせない軽い感じの方が周囲にも心配かけないかなぁって思っていたのに

母子家庭の子供は見るからに周囲が辛くなるような悲壮感が漂ってなくてはいけないんですか?

おしえて、先生!!(笑)

「所詮」だけれど「されど」でもある

■「忙殺」は「心」と「亡」と「殺」■

12月も折り返してしまいました

ということは、言うまでもなく、2023よさようならって感じですね

毎年思いますよ

「来年だって師走はやってくるのに、なんで師走だけ必要以上にバタバタするのか?」

まぁ、確かに年が変わる時に持ち越したままはちょっと嫌なんですよね
なので、正直「気持ち」の問題なだけなの?っていうね(笑)

結果として会社では、机の物を一旦出して、なぜかもう一度しまうだけという、謎儀式的行為
PCのデータを見ては、それを作成した時のことを思い出して、独りお疲れ様会的感傷タイム

何の整理もしないまま、また1月から、引き続き状態でのスタートです!( -`д-´)キリッ

師走に限定したことではありません

何らかの局面や佳境になると仕事は激務になるのは必然

その時、ついつい「忙殺」という言葉を使ってしまいません?
でも、この文字って分解するとめちゃくちゃ恐ろしくないですか?

「心」が「亡」くなって「殺」される
もしくは
「心」が「殺」されて「亡」くなる

ということになりますよね

使えば使うほど、その言霊にどんどんやられそうな負の代表格みたいな感じの言葉
いったい、誰が考えたのだろうかと思うような呪詛ワード(^^;

そう思うと怖くて安易には使えないから、皆さまも使用禁止にしましょう☆

■延長線上なだけかもしれないけれど■

良いドラマもしくは映画だなぁと感じるものは、各自で違います

その「良い」を何とするかでジャンルも変わってきます

そのジャンルに「お仕事系」ドラマや映画というものがあります

言ってしまえば、結局ご都合主義だったりするんですよね、お話だから(笑)
「いやいや、そんなに上手くはいかないだろう」とかね

でもなんというか、ドラマや映画によって気持ちを一掃させて再度仕事に向き合ってみる
っていうリセットと明日以降への栄養剤になるものを、この師走と年末年始に観てみては如何でしょうか?

その年が終わって翌年となっても、仕事そのものは特に変化はないでしょう
なので、どうせ延長線上かもしれません

でも仕事を変えていくのは自分自身です
少し目線や心持を変えると、翌年の仕事はただの延長線上の仕事じゃなくなるかもしれません

私達は、現実の中で生きていて、大切なのは現実です
ドラマや映画は「所詮」作り物のお話の世界
「されど」現実だけを見つめていては、埋没するだけで何の広がりもありません
作り物のお話の世界が、現実に広がりを与えてくれるかもしれませんよ♪

■あの断られてしまったCEOのスピンオフを熱く希望■

実は、ロバート・デニーロもアン・ハウェイも特別ファンではないんですよ

好きとか嫌いとかの対象じゃないんですよね(笑)

でも、2人の作品は好きな作品が結構あります
特にデニーロについては、芸歴が長いのでそれだけ作品も多いですからね(^^;

ちなみに、ボトルの中にサボテンのガラス細工が鎮座している、デニーロも愛するテキーラポルフィディオはとても好きです(笑)

この二人の共演映画と言えば「マイ・インターン

でね、元も子もないんですが、この作品は案外酷評される方も多いんですよね(笑)

アン・ハサウェイは、若い女性向けファッションのネット通販サイトの創業CEO
そこに70歳のデニーロがシニア・インターンでやってくるというお話です

その後のあらすじは、他にもたくさんの方が記事にされていますので、割愛します

酷評されている方々のご指摘のように人物像の描き方についての、作りの浅さは否めません

また、シニア採用がこのように全て割符のように、キッチリとハマる
そしてなにもかも上手くいってしまうなんて理想論ではあります
なんといってもデニーロ演じるシニア・インターンが、できすぎ君
なので、自力での解決というより、見え方的には「寄りかかって他力に流される」アン・ハサウェイ
それに対して「もやもやする」という気持ち側に引っ張られると、何もかもが嫌な映画に感じてしまうかなぁと

でも、アン・ハサウェイ演じるCEOのプライベートも含めると、ダイバーシティを本当に実現するならば、映画は理想を描いたものの方が良いかもしれません
どこか「どうせ映画だから」と思いながら「でもこうなったらいいな」と仕事や組織に向き合っていける気がします

最終的には、客観的合理的評価のために個々の目標を定量化するにしても、そもそもダイバーシティは数値目標ではありません

そういう場合は「理想論」が大切じゃないかなぁと思う「努力+忍耐+根性」世代です(笑)

まだ設立からの年月だと、スタートアップの企業です
事業は、好調どころか急成長

アン・ハサウェイは、30歳の設定
若さの象徴のバイタリティと、創業者ですからアイディアにも溢れて、感性も素晴らしく、メインターゲットの購買意欲を刺激するアイコンとしてのビジュアルもピッタリ

ですが、CEOと共に歩み、よきアドバイザーでもある役員は、多忙すぎるCEOを間近で見ているので急成長ゆえの組織の脆弱性を懸念
そこで優秀なCEOを外部から採用することと併せて、シニア・インターンの登用を提案

結局、紆余曲折あって、一旦、採用と決めた外部採用予定のCEOに断りを入れるんですよね

この映画の場合、そういう意図じゃないのは解っているんです
でもね事実として「お断り」なんですよね

あの断られてしまったCEOにだってビジネスパーソンとしての人生があるんですよ
だから、スピンオフ作ってよ!(笑)

■人間同士が作っていくものだから■

私は、社会における学習の真の成果とは人間性が大きくかかわるものだと思っています

成果に導くためには多くの学習の積み上げが必要です

AIは、その学習の積み上げをパターン化などにして、最適な答えを選択・指示します

ですが、最後の仕上げの結実までさせるためには「意思の疎通」が不可欠
意思の疎通には「目的意識の統一」「配慮」「尊重」などが必要です
自分の意見を通すにしても、他者への理解は不可欠です
(中には、周囲全無視で押し通す方もいますが・・・)

そしてそのような感情の部分が「人間性」です

将来的には解りませんが、現時点ではこれはAIには備わっていません

自分の優位性との対比で他者の劣位性を批判したり侮蔑していては「意思の疎通」は図れなくなってしまいます

年長者自身は、単に年数を若年者よりも長く重ねただけ
若年者自身は、単に肉体も知識も若く新しいだけ

そこまで極端にへりくだる必要はありませんが、そのくらいの気持ちで相手に対峙できる「人間性」が、学習したことを成果へと結実させるのだと思います

そしてそれこそがダイバーシティだとも思います

この映画では、AIの世の中になっていくからこそ、真逆のアナログの「人間性」の重要性を伝えてくれていると思います

■こんなに笑顔が怖くないデニーロ見たことない■

私が、この映画での好きなシーンの1つは、最初の方に出てくる、デニーロが採用に応募するシーン

会社の募集要項は、履歴書を送付するのではなく「PRビデオをYou Tubeにアップロードしろ」というもの

しかも、それは応募者のやる気を図るためにふるいにかけるように、アップロード方法などを載せていません

そこで70歳のデニーロはアップロードの方法を教わります
そしてネクタイを締めてスーツ姿で撮影
「最近ブルックリンはおしゃれな街に変わったので、私も変わりたい」
そうPRして応募します

新しいことにチェレンジしようという気持ち
そして歩みだしたデニーロが嬉々としていて、こちらもワクワクしてしまいます

でも、この映画の真の1番の推しポイントは「終始怖くない笑顔のロバート・デニーロ

今までの作品のデニーロの笑顔は、その裏にあることを考えたら恐ろしくてしょうがない役ばかり

なのでこの映画、もしかして、終始怖くない笑顔のロバート・デニーロが最も恐ろしいというホラー映画かもしれません(笑)

自分で自分を引き受けるということ

■重症化の基準は入院?■

私は、精神疾患において「重症化」というものの定義が解りません

もし「入院」が1つの区切り位置とするのならば、私は結婚していた時に手前までは行きました(笑)

入院にはいくつかの段階があります
私の配偶者は、私に対する「措置入院」寄りの「医療保護入院」を警察官から打診されました

従前からの毒母と毒姉とのこと
会社の激務と、モラハラ理不尽上司に非協力的で反発的な同僚
私の有責により完全に離婚が確定していた配偶者との、個々の生活への移行期間のカオス状態

その様な悩ましいことを複数で抱えていながら、毒母との同居がその後も継続するのは既定路線状態

既に「うつ病」で通院をし、投薬治療中でした
最新のお薬事情は、情弱なので解りませんが、当時では中程度の後期の強さの薬も処方されていました

ある日の会社の飲み会の時のことです
服薬中だったので、飲酒はしないでいました
ですが、ちょっと社内の女性から絡まれてしまったんですよね
その人はその人でストレスが溜まっていたのだろうと思われます
作り話にしても、ベタすぎなんですが、その人に言われたわけですよ、ハイ
「私の酒が飲めないの?」的なことをね(笑)

でね、役員でもあった私の理不尽上司あたりが止めに入るかと思っていたんです
でも、ヤツは私に飲酒を勧めてきたんです
なんなら面白がっていたフシすらあります

そして、私、飲んでしまいまして、キ〇ガイ水をね

その結果、服薬+飲酒の合わせ技で、スイッチオンのク〇ク〇パーで口論になったわけです
まぁ、口論では済まないんですけれどね(^^;

結果、お店から出た外で暴れるわけです
そこに仲裁に入った交番の警察官にもなかなかな態度だったようで、配偶者が呼び出しその時に、配偶者は警察官から入院を打診されています

どうも、その際の飲み合わせがあまりにキレッキレだったみたい
私の様子が警察官ですら目に余る状態
同じお薬でも、違法な何かの摂取の疑義を持たれてしまうレベルだったようです(^^;

そんな状態だったので、結構執拗に入院打診があった模様
まぁ、私はその時は別な世界の住人になってしまっていましたので、全ては配偶者からの伝聞です

それまでも、服薬と飲酒を自制できずにいくつかやらかしていました
そのような事の積み重ねで配偶者とは離婚ということで双方合意に至っていました
そこに被せるようなこの大失態&大迷惑

元夫には、この辺りの「事象」については申し訳ございませんでしたとしか言えませんね

まぁ、そういうことに至る背景や事情は別ですけれどね(笑)

警察官からの打診は配偶者が丁重にお断り
結果として、入院には至ってはいないため重症化しなかったということにします(笑)

■既に許容量以上になっているのに軽いとか重いとかではない■

精神疾患は罹患しても自覚症状のないまま、自己免疫・自己修復で治ることもあります

ただ、罹患の履歴は自分の心身に残ります
また、ヘルペスのように潜伏するので、完治はあり得ませんが、一旦は大人しくなります

ですが、何らかの自覚症状が現れたとします
それは、自身の許容の器の中の水が溢れてしまったということ

そして、私のように、重症化の手前にまで至ったということは、溢れた水が緩やかに流れたのではなく、一気に流出したということでしょう

私は、機能不全毒母毒姉家庭での成育によって、心の許容の器の体積は広げられるほうだと思います

でも、それは心が広いとか寛容というのとは全く違います

単なる「防衛本能」です
心の許容の器の体積を広げないと生きていけなかったから
それだけのこと

そうやって広げた器から水が溢れる
もしそれが染み出るような微量ずつであったとしても、溢れてしまったことには変わりはありません
微量だろうと大量だろうと「溢れてしまった」んです

自覚症状があったならば、それは間違いなく軽いとか重いの話では全くありません
まだ軽症だなんて、かいかぶらないでください

まだ大丈夫だなんて思っていると、手遅れの手痛い目に遭ってしまいます

そうなってからでは、回復は困難となってしまいます

それまで十分辛い思いをしてきていたのに、更に別な種類の辛さが加算されるだけ

■内観のために余白は絶対に残す■

あくまでも私見ですが、度々、内観の必要性と、正しく内観できるようにするための心の余白の重要性を主張させてもらっています

私が、重症化一歩手前までになった頃は、まだ世の中全般的に精神疾患に対する捉え方が未熟でした

なので、私は配偶者からも血縁者からも、私の「うつ病」に対して酷い狼藉を受けました

完全なる「弱り目に祟り目」状態
まぁ、世の中がどのように変わったとて、母と姉が毒なのは変わりません
なので、私は「精神疾患に罹患できても病人にはなれなかった」のは永遠変わらなかったでしょうけれど(笑)

でも、この頃の比ではないほどに、今は世の中において精神疾患の認知が進んでいます

あくまでも過去との比較となってしまいます

それでも、今は、自身を内観すること
心の余白を作って常に維持し続けること
それらもそんなに困難ではない世の中かと思います

以前、精神疾患は不治の病だと綴りました
また、医師は心を診れても看ていくのは自分自身だとも綴りました

たとえ血縁者や配偶者であっても、決して自分とは一体になれません
また、自分と代わってももらえません

自分を引き受けるのは自分でしかありません

逆に相手に対しても自分が汲めること、出来ることの限界があります

どんなに思いがあって努力を重ねたとて100%のシンクロは存在しません

自分にとって何がストレス要因となるのか?
どのような環境と段階の組み合わせで、どこまでの許容量でいっぱいになってしまうのか?

そのようなことを知っておくことは、決して無駄にはならないと思います

自分を自分で知っておくことで、他者に対しての過度な理解の要求や期待を回避することも出来ます

結果として、人間関係によって生じるストレスの軽減に繋がり、より健やかな生活が送れることになります

年末年始は、少しそのような自身の内観をする時間を設けても良いかもしれません

それは、自分だけでなく身近な人にも同様に勧められても良いことかと思います

私が、随分と偉そうなのは、もう年末なんで大目にみてあげて下さいm(__)m

よろしくおねがいします☆

我が家は「残り物」が「正規品」(笑)

■もう、これは「残り物」じゃないねぇ■

「もう、なんも言えねぇ」
って感じに、残り物でチマチマ料理した感じのご飯
これだと「残り物=正規品」状態です(笑)
私は、酢の物が好きなんですが、正月じゃなくても「紅白なます」はよく作ります
冬になると「ゆず」が出回るので、酢と一緒に使えて、より爽やかな紅白なますが食せます
また、常々思っておりますが、日本の米の旨さと懐の広さよ!
適当に残り物を入れて炊いても、絶対に美味しい炊き込みご飯になるっていうね
丸みを帯びた楕円形
炊いた時のふんわりと柔らかい弾力と粘り
ジャポニカ米よ、あんたは私の食を常に伴走してくれていて、感謝しかないぜっ☆
しかしながら、良く言えば落ち着いたメニューばっかりだ(笑)
もう少し、華やかな食卓を2024は目指したいと思います!!

残り物炊き込みご飯

40年超の毒家族搾取モラハラで解った「答え」

■怖いのは何が何でも諦めない異常な執念■

私にとって毒姉は「恐怖の代名詞」でもありました

私に対して詰め寄る時の姉の特徴を以前綴りましたが、姉からの連絡や訪問で、心拍数が高まる思いは数知れずです

それは姉が怒ると怖いからということではありません

私の首を縦に振らせる、自分の思い通りに私を従わせる
そのための執念と根気と手法が恐ろしいからです

自分の気持ちを満たすこと
常に私に勝ち、優位性を示し続けること
それらに対するこだわりは、何とも形容しがたく「恐怖」でしかありません

むしろ「恐怖」という言葉の説明にピッタリなのが「毒姉の執念」という感じです

私は、それは姉が全て意識していることばかりではないと思っています
本人の無意識の本能だと

もちろん機能不全家庭での成育によるものもあるでしょう
ですが、本人にそもそも備わっているものでもあるかと思います

姉の「何が何でも諦めない」という執着と根気
「自分の損は相手の得」「相手の得は自分の損」という私に対する考え方の徹底ぶり
それらは、まさに異常としか言えません

その異常さは「持って生まれたものだから」という言葉である程度片付けないと説明がつきません

私は、3つ違いの毒姉と同じ機能不全家庭で成育しました
なので、モラハラ被害搾取子の私は、姉の異常性は先天的なものだということにでもしないと、気持ちが縛り付けられ続け、壊れてしまいます

むしろ「同じ家で育った」という同一の成育条件という後天的要素
そんなものが「いつか解ってくれる」など、無駄な期待へ繋がさせてしまうのです
そしてモラハラ被害者は気持ちを縛り付けられ、そこから動けなくなってしまう
それは被害をただただ増やし、加害者を増長させるだけなのに

これは、毒姉だけに限りません
毒母に対しても同様です
さらに、世界中のモラハラ加害者の万国共通なことだと思います

最初からヤツらは異常

成育の家庭環境や教育という後天的なものだけではなく、先天的なもの

もともと、毒を持っている生物なんです
そしてその毒は、相手を死に追いやる猛毒

回避するにはそこから逃避するしかありません

■意識や認知が失われるまで進行形のこと■

私以外にも、毒家族についてのblogを綴っている方は沢山いらっしゃいます

たぶん皆さん気持ちを吐き出したり、整理するためにblogを綴るのかと思います
ですが、その度に様々なことを思い出してしまう
気持ちを軽くするための行為のはずが、むしろ辛くなる
そんな方も少なくないのでは?と思っています

2013年2月8日のあの家事調停とその後の絶縁までの40年超の私の人生
機能不全家庭のこと、毒母・毒姉のことをblogに綴ると、私も思い出されてしまい、ひたすら辛くなります

そして、気持ちの芯がそれに引きずられて持っていかれてしまう
いわゆるネガティブ感情というものにガッツリ侵食されて、飲み込まれてしまいます
心と頭が、絶望感と焦燥感が混在したようなものだけになり、支配される
そして、人生そのものを終了させるべく生物学的な死をも考えてしまいます

だったら、書かなきゃいいのに

確かにそれは間違ってはいないと思います
ですが、正しくはありません

私は、毒母・毒姉と実質的な絶縁をして10年です
でも、モラハラ被害は過去形じゃないんです
被害者にとっては、自身が生物学的死を迎える時に、意識や認知が失われるまで忘れられない現在進行形のもの

現在進行形の物だから、書くことで気持ちをどうにか収めるしか仕方がないのです

■過去の被害の「可哀相な自分」に浸っている訳じゃない■

例えば、都市の再開発などにおいて
物質は「スクラップ&ビルド」で、過去と現在が完全に新しい別の物として入れ替わります
ですが、人の体験による記憶はそうはなりません

「いつまでも、終わった昔のことをグダグダ言って」
「そんなことをずうっと言っていては、人生は変わらない」
「未来を考えて、後ろは振り向かず歩んでいかなくちゃ」

そういうことは、解っているんです
むしろ他者から言われずとも自分が一番そう願ってもいるので、そうしたいんです

時間は巻き戻せません
過去の出来事を無かったことにはできません
後退して過去を消すことはできないので、前進して現在を築いていく

ですが、もう元には戻せない、無かったことには出来ないことだからこそ、前に進む時に常にそれらが足枷となり、上手く前に進めない

私の精神は、毒家族というモラハラ加害者によって、幾度も死の淵に立たされ、殺されてきました

私は、この10年間は実質的な絶縁という物理的な距離が確立されてはいます
40年超の支配と隷属の関係からも解放されました
ですが、生物学的な生と死の境目を歩いて行くのは以前と何も変わりません

変わったことは、モラハラ加害者からボロボロになった自尊心を取り戻せたことだけ
今は、これ以上は破損しないようにと、そのボロボロな自尊心を大切に抱えながら、線上を歩き続けているだけです

■情報の拡散と認知は理解という意味ではない■

昨今は「家庭・家族」に対して「協力し合うもの」「話し合えばわかる」というのが絶対的な正しいものだとして押し付ける人は減ってきています

また「親孝行」という考え方も「子供は3歳までの子育て期間中に親に対して、一生分の親孝行を既にし終えている」ということも言われています

さらに、猛毒を持っているモラハラ血縁者という生き物の存在自体も認知されてきています

ですが
「なぜ相手に嫌だという意思を、ハッキリ毅然とした態度で伝えないのか?」
「話の通じない相手なら、なんでとっとと逃げないのか?」
という疑問を投げかける方が、まだまだいらっしゃいます

モラハラ加害者は、被害者の自尊心を侵害・侵略・はく奪してボロボロにします
その状態で逃避の決断と行動に移すのは簡単なことではありません

そして、やっとの思いで無事に逃避した時、加害者から取り戻せた自尊心を見る
するとそれはもうボロボロになってしまっている

失った物はあまりにも大きい
当たり前ですが自責の念が募ります

「もっと、早くに逃げられたかもしれないのに」
「逃げられなかったのは、自分に原因があるのではないか」

周囲が疑問を投じなくても、そういう思いは絶対に消滅も払拭もできず存在しています

ですが時間は巻き戻せない
過去の出来事を無かったことにもできない

「逃避した時が最良のタイミングだった」と納得させて、前進していくしかありません

また、座学の知識人で
「それは共依存だから、あなたもカウンセリングなどを受けた方が良いよ」
というようなアドバイスをして下さる方もいらっしゃったりします

人は、自分自身の経験以外のことは解りません
もしかすると想像すらできないかもしれません
同じような機能不全毒家庭での成育の人同士であっても、他者のことは解りません

例えば、大谷翔平選手のことを、同じ大リーガーであれば解るかと言えば、解らないだろうと思いますよね
事象は全く違いますが、結果としての答えはモラハラの被害もそれと同じです

なので、モラハラ被害者は、誰にも理解はされないという理解が必要です
また、モラハラ被害者のことは、理解できないものなのだと理解してください

(なんだか、小泉進次郎構文みたいで、申し訳ありませんm(__)m)

モラハラ被害者は、座学の知識人の方のご指摘のように「共依存」になっている人が多いとかと思います
加害者の奴隷として、操り人形として、都合よくマインドコントロールされてしまっているのですから「共依存関係」が成立しているのでしょう

だからこそ、モラハラ被害者に解ったような、理解を示せば依存されてしまいます
そして、モラハラ被害者も理解されたと勘違いして依存してしまいます

それでは対象者や形が変わっただけで、いびつなものであるのは何も変わらない

情報の拡散と認知は、理解という意味とは全く違うものです