自分で自分を引き受けるということ

■重症化の基準は入院?■

私は、精神疾患において「重症化」というものの定義が解りません

もし「入院」が1つの区切り位置とするのならば、私は結婚していた時に手前までは行きました(笑)

入院にはいくつかの段階があります
私の配偶者は、私に対する「措置入院」寄りの「医療保護入院」を警察官から打診されました

従前からの毒母と毒姉とのこと
会社の激務と、モラハラ理不尽上司に非協力的で反発的な同僚
私の有責により完全に離婚が確定していた配偶者との、個々の生活への移行期間のカオス状態

その様な悩ましいことを複数で抱えていながら、毒母との同居がその後も継続するのは既定路線状態

既に「うつ病」で通院をし、投薬治療中でした
最新のお薬事情は、情弱なので解りませんが、当時では中程度の後期の強さの薬も処方されていました

ある日の会社の飲み会の時のことです
服薬中だったので、飲酒はしないでいました
ですが、ちょっと社内の女性から絡まれてしまったんですよね
その人はその人でストレスが溜まっていたのだろうと思われます
作り話にしても、ベタすぎなんですが、その人に言われたわけですよ、ハイ
「私の酒が飲めないの?」的なことをね(笑)

でね、役員でもあった私の理不尽上司あたりが止めに入るかと思っていたんです
でも、ヤツは私に飲酒を勧めてきたんです
なんなら面白がっていたフシすらあります

そして、私、飲んでしまいまして、キ〇ガイ水をね

その結果、服薬+飲酒の合わせ技で、スイッチオンのク〇ク〇パーで口論になったわけです
まぁ、口論では済まないんですけれどね(^^;

結果、お店から出た外で暴れるわけです
そこに仲裁に入った交番の警察官にもなかなかな態度だったようで、配偶者が呼び出しその時に、配偶者は警察官から入院を打診されています

どうも、その際の飲み合わせがあまりにキレッキレだったみたい
私の様子が警察官ですら目に余る状態
同じお薬でも、違法な何かの摂取の疑義を持たれてしまうレベルだったようです(^^;

そんな状態だったので、結構執拗に入院打診があった模様
まぁ、私はその時は別な世界の住人になってしまっていましたので、全ては配偶者からの伝聞です

それまでも、服薬と飲酒を自制できずにいくつかやらかしていました
そのような事の積み重ねで配偶者とは離婚ということで双方合意に至っていました
そこに被せるようなこの大失態&大迷惑

元夫には、この辺りの「事象」については申し訳ございませんでしたとしか言えませんね

まぁ、そういうことに至る背景や事情は別ですけれどね(笑)

警察官からの打診は配偶者が丁重にお断り
結果として、入院には至ってはいないため重症化しなかったということにします(笑)

■既に許容量以上になっているのに軽いとか重いとかではない■

精神疾患は罹患しても自覚症状のないまま、自己免疫・自己修復で治ることもあります

ただ、罹患の履歴は自分の心身に残ります
また、ヘルペスのように潜伏するので、完治はあり得ませんが、一旦は大人しくなります

ですが、何らかの自覚症状が現れたとします
それは、自身の許容の器の中の水が溢れてしまったということ

そして、私のように、重症化の手前にまで至ったということは、溢れた水が緩やかに流れたのではなく、一気に流出したということでしょう

私は、機能不全毒母毒姉家庭での成育によって、心の許容の器の体積は広げられるほうだと思います

でも、それは心が広いとか寛容というのとは全く違います

単なる「防衛本能」です
心の許容の器の体積を広げないと生きていけなかったから
それだけのこと

そうやって広げた器から水が溢れる
もしそれが染み出るような微量ずつであったとしても、溢れてしまったことには変わりはありません
微量だろうと大量だろうと「溢れてしまった」んです

自覚症状があったならば、それは間違いなく軽いとか重いの話では全くありません
まだ軽症だなんて、かいかぶらないでください

まだ大丈夫だなんて思っていると、手遅れの手痛い目に遭ってしまいます

そうなってからでは、回復は困難となってしまいます

それまで十分辛い思いをしてきていたのに、更に別な種類の辛さが加算されるだけ

■内観のために余白は絶対に残す■

あくまでも私見ですが、度々、内観の必要性と、正しく内観できるようにするための心の余白の重要性を主張させてもらっています

私が、重症化一歩手前までになった頃は、まだ世の中全般的に精神疾患に対する捉え方が未熟でした

なので、私は配偶者からも血縁者からも、私の「うつ病」に対して酷い狼藉を受けました

完全なる「弱り目に祟り目」状態
まぁ、世の中がどのように変わったとて、母と姉が毒なのは変わりません
なので、私は「精神疾患に罹患できても病人にはなれなかった」のは永遠変わらなかったでしょうけれど(笑)

でも、この頃の比ではないほどに、今は世の中において精神疾患の認知が進んでいます

あくまでも過去との比較となってしまいます

それでも、今は、自身を内観すること
心の余白を作って常に維持し続けること
それらもそんなに困難ではない世の中かと思います

以前、精神疾患は不治の病だと綴りました
また、医師は心を診れても看ていくのは自分自身だとも綴りました

たとえ血縁者や配偶者であっても、決して自分とは一体になれません
また、自分と代わってももらえません

自分を引き受けるのは自分でしかありません

逆に相手に対しても自分が汲めること、出来ることの限界があります

どんなに思いがあって努力を重ねたとて100%のシンクロは存在しません

自分にとって何がストレス要因となるのか?
どのような環境と段階の組み合わせで、どこまでの許容量でいっぱいになってしまうのか?

そのようなことを知っておくことは、決して無駄にはならないと思います

自分を自分で知っておくことで、他者に対しての過度な理解の要求や期待を回避することも出来ます

結果として、人間関係によって生じるストレスの軽減に繋がり、より健やかな生活が送れることになります

年末年始は、少しそのような自身の内観をする時間を設けても良いかもしれません

それは、自分だけでなく身近な人にも同様に勧められても良いことかと思います

私が、随分と偉そうなのは、もう年末なんで大目にみてあげて下さいm(__)m

よろしくおねがいします☆