音楽は産業でも商業でも文化でもなくなった

■第一線で50年■

ユーミンが50周年だそう
私のような貧乏人で低能な人間は、富裕層で優秀な人々が愛するユーミンの50周年を祝わさせては頂けないので「祝!50周年」などとは恐れ多くて申すまい(笑)

ユーミンほど楽曲とステージは素晴らしいのに歌唱力が物議を醸す人は珍しい(笑)

声も比較的美声と評価され支持されることの多い「高くて澄んだ声」とは異なる
小室哲哉氏も過去に言っていましたがどちらかというと「図太い声」
まぁ、小室氏は他者の歌声だとか歌唱力だとかに言及しちゃぁダメですけれどね(笑)
まだ、小室氏がロング金髪の付け毛をしていた時代から思ってましたよ(笑)

ユーミンのビジュアル面でのお顔については敢えて触れません(笑)

「あんな変なアイドルなんかに曲書かなきゃ良かった、印税返すから曲返せ!」と、かつて口撃した松田聖子さんに、また楽曲提供されているようで、さすがのユーミン

12月1日放送の「ザワつく!金曜日」
ある意味非常に敏く「この人は押さえておこう」という相手にはめちゃくちゃ腰の低い高嶋ちさ子さんにもファンだと言われてましたね(笑)

高嶋さんは以前モンブランの会の時におっしゃってました
「プランタンに入っているアンジェリーナのモンブランが一番好き」
プランタンは2016年に閉店して、跡地はマロニエゲート銀座です
そして、それに合わせてアンジェリーナは撤退して、常設店舗はマロニエゲート銀座にはございません

まさか未だに「PLAZA」を「ソニプラ」と略しておっしゃったりしていませんよね?
因みに2007年には「プラザ」になっております

ユーミン高嶋ちさ子さんに対する他意は別にございませんので悪しからず(笑)

伊集院静氏の逝去にあたりコメントも出されていましたが、今年ロックな69歳のユーミン
長きに渡り「現役」なのは、ご本人が天才とか神と仰るとおり、まごうことなき事実

■食指が動かないほどに歳をとってしまった■

12月は1年の締めくくりでもあります
私はもう何年も、年末恒例の音楽の祭典を視聴していません

なので、ノミネートや出場者にも全く興味がわきません

もう新しい音楽にあまり食指が動かなくなっているという悲しい現実もあります
ウキウキワクワクドキドキしなくなっちゃったんですねぇ~、悲しすぎる

これが「歳をとった」というものなのかもしれませんね(^^;
偉そうに言ってしまうと、全米チャートも賑わすK-POPも洗練されているとは思います
ですが、独創性というか真の新しさのような物が私にはあまり感じられません

非常に大きな括りでの音楽という業界の売上の牽引は若年層です
娯楽そのものの選択と嗜好の幅と種類が増えたのもあります
複数曲数収録された数千円のCD販売から、配信による1曲毎の楽曲ダウンロードという形態に変わったこともあります
また、若年層の利用者の多いTikTokに投稿できる動画の長さが、黎明期は15秒だったということもあります

人々の生活と音楽のかかわり方は明らかに変わりました
生活に浸透して欠かせないものであるということに変わりはありません
でも、重要度というべきなのか位置づけが変わりました

生活の中には様々な音楽が溢れていて、日々の生活は音楽に囲まれています
「生活における当たり前」の価値や意味が、音楽においてはすっかり変容しました

■終わりの始まり■

それは「今日は晴れて良い日だ」という書き出しから始まる

「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった
死にたいというより、消えてしまいたい」
という趣旨の文章と共にその人は2009年10月16日に自死をした

公開された遺書は、レター・ヘッドから字体に至るまで、加藤和彦氏らしいスタリッシュさでした

それが余計に、残念さを助長させました

加藤氏の晩年は、うつ病に罹患して年々悪化していっていたそうです
享年62歳

加藤氏が亡くなる2週間前の2009年10月2日
彼の姿は、東京国際フォーラムでのユーミンのコンサートのステージにありました
黄色いロールスロイス」にギターとヴォーカルで参加
これが公の場に姿を見せた最後の機会となりました

この時の映像はYouTubeで視聴出来ます

自死という事実
それとは別に加藤氏ご本人の「真実」があったであろうと思います
その推察のうちの1つとして、加藤氏の選択は衝動的ではなかったであろうと思います

ユーミンのコンサートへのゲスト出演時には既に気持ちを固めていたのではないかと
常に格好良かった加藤氏らしく、全くそんな思いを朋友でもあるユーミン
そして、会場に訪れた音楽を愛する人々に微塵も感じさせることのない、加藤氏の雄姿

白い半袖シャツに蝶ネクタイ、絶妙な丈にロールアップした黄色いパンツ
最後まで「トノヴァン」はステキでした

それでも加藤氏の心は「消えたい」という気持ちに行きついてしまっていた
「ただ消えたいだけなのだから、騒がず、詮索もしないで欲しい」
そう綴って自ら逝ってしまった

最後に、現場の方に対するお詫びと感謝の一文も添えている

この遺書が公開された時
私は、音楽の良かった時代は本当に終わってしまうんだと堪らなくなりました

同じことは2度とはしないという信念の人
バンドの再結成に際しても、メンバーチェンジをしたりしています
常に、日本の音楽業界を新しい試みにより牽引してきた人

そして、あれから14年が経年して思うこと
加藤氏は生きていなくてよかったと
更に辛い時間を長く過ごすだけだったと

確かに今は、海外や若年層から「シティーポップ」や「歌謡曲」が人気です

ですが、それは江戸時代などの歴史に触れて、そこに憧憬するのと同じなだけ

■♪永遠の嘘をついてくれ♪■

加藤氏の死は終わりの始まり

そして、完全に終わったなぁと思った時
それは2022年の吉田拓郎氏の歌手活動引退宣言でした

加藤氏とは異なり「引退」です
それまでの吉田氏の病歴や体調等のことも勘案すると「時が来た」「とうとう来てしまったか」というもの

もう吉田氏のいわゆる自作自演作品の次はないということです
音楽の良かった時代は本当に終焉です

吉田氏の「結婚しようよ」は、日本中の人が知るヒット曲
吉田氏の名前も確実に日本中の老若男女に知れ渡ることとなった名曲です
そしてこの曲の編曲は、加藤氏です

吉田氏は加藤氏のことを「彼の才能は日本では唯一無二なもの」と評しています
10人の歌手の10通りの歌へのアドバイスが即座にできるのだそう

吉田氏の楽曲は数々ありますが、やはり中島みゆきさんに楽曲制作依頼をした曲
「永遠の嘘をついてくれ」
これは秀逸ですね

自作自演の先駆者でもある吉田氏は他人に楽曲制作依頼をしません

ですが、その頃、吉田氏はメンタル的に色々と難しい状態だったようです
音楽活動の継続について思い悩んでいたとのこと
そして、みゆきさんの「ファイト」を聴いた時にその思いは決定的となりました
あまりに素晴らしい曲で、自分にはもうこんな曲はかけないと
みゆきさんへは「最後の曲だから、みゆきに依頼しよう」と心に決めて依頼したというエピソードが囁かれています
その時に「遺書のような曲を作って欲しい」とお願いしたそうです

それに対して、もともと熱烈な吉田氏のファンでもあったみゆきさん
「これからも活動を続けるのならば作る」という条件を提示して依頼を引き受けたそう

そして1995年に作詞・作曲が中島みゆき、編曲が吉田拓郎という名曲がアルバムに収録されました

縁起でもないことですが、もし、吉田氏が鬼籍となってもその報道はして欲しくないですね

「永遠の嘘をついてくれ」と願います

■高品質な職業としての専門家の仕事■

時代は移り変わるものです
そして音楽は、衣食住でもなければ三大欲求でもありません

「嗜好」に該当するので、衰退して別な物に移り変わってもおかしくありません

今の広義での音楽業界の現状は、誰が戦犯ということはありません

ただただひたすらに「時代」なんでしょう

音楽は産業であり商業であり文化でもあります

従前の音楽業界は、C to B to Cでした

現在はC to CにBが絡ませてもらっているような状態です

個人で省スペースかつそれほど高価でもない機器で作曲が可能
様々な楽器を弾かせるのも、ボーカルに歌わせるのもソフトがあれば大丈夫
そして、完成した曲を自身のチャンネルで配信

ユーミンには長きに渡り公私ともにパートナーである松任谷正隆氏がいます
天才的な専門職の編曲家であり音楽プロデューサーです

現在の世の中の音楽には専門家が絶対に必要というものではなくなっています

そもそも音楽は人の表現であり芸術の1つです
現在のような形は制限が限りなく排除されています
それは自由度が高いので、表現としての芸術の本来の正しい姿なのかもしれません

ただ、芸術であるからこその高品質な完成度は担保されなくてはならないとも思います

まぁ、もう産業でも商業でも文化でもなくなってしまっているのならば、そんなもの関係ありませんけれど