■形式すら整わない■
現代の若年層が思っている、会社という組織での働き方の意識
そのようなことは全く考慮せずに、女性管理職について傲慢な持論を展開します(笑)
若年層の女性の起業家は増えてきています
それに対して、女性管理職の増加は遅々として進まない
物事の基準には「形式基準」と「実質基準」があります
形式基準は、制度や資金力などの力技で、なんとか整ってしまう場合が多い
しかしながら、その形式基準でさえ、女性管理職は整っていないのが現状
日本の人口の男女比は、ほぼ1対1
これは全人口の比率なので、あまりに暴力的ではあります
ただ、もっと暴力的に言ってしまえば「ダイバーシシティー」を掲げるのであれば、形式基準での管理職男女比もこの比率であるべき
私が初めて管理職になった20年前、管理職会議10人の議場の男女比は9対1でした
そこから2023年の現在でも、比率が5対5などにはほど遠い
私の肌感では7対3の企業でも、形式的には充分優秀なのではと思っています
形式基準でさえ結果が満たせないというのは、「そのもの」に問題があるから
「そのもの」とは、組織なのか、挑もうとしている事象なのか、もしくは両方か?
■いつまでたっても形成されないロールモデル■
形式基準を満たした次の段階として、実質基準があります
時として「立場が人を創る」という場合はあります
「抜擢人事」と言われたりするものです
ただし、これは現在の環境と条件下では、女性管理職には該当し辛いと思います
女性管理職が少ないということは、女性の場合、管理職に就くこと自体が、その組織にいて「抜擢人事」である場合が多いはず
男性は周囲に絶対的に男性の管理職が多い
抜擢であったとて、同様な人事により昇進した仲間や先輩・上司といった、いわゆるロールモデルが複数パターンで、前例として存在します
当然、会社の人事側にもそれはデータとして蓄積されています
従って、個人としてだけでなく、会社という組織としても有効な育成指導が可能です
しかしながら女性は前例が乏しい、もしくは「ない」
更に、抜擢された本人へ、ロールモデルになるべく命題を、会社側から課せられる場合すらありえます
すると、導かれる結果の可能性として高いのは2バターン
いつまでたっても、自立出来ないままの形式組織図女性管理職が出来上がってしまう
または、本人が潰れてしまう
会社と社会が期待するロールモデルなんてものはいつまでたっても形成されないまま
■ゲスの勘繰り■
私は、地方の短大卒
血統も経歴も全くもって華麗などではなく、むしろ真逆
なので、長きに渡り携わってきたIPOや事業再生のような構築・整備業務で、私と同列な学歴と経歴の人を私は自分以外には知りません
関わる人は全て「素晴らしい人」ばかり
私は、少ない女性管理職の中でも、更に少数派
有難い事に、いくつかの転職や業務委託は、過去に仕事を共にした方の紹介によるもの
そして、参画する企業のミッションのど真ん中で従事するというもの
また、時期はミッションの初期ではなく、大抵、踊り場で足踏み状態の停滞時
火を噴いている現場の火消し役として投入
世の中というものの中でも、会社組織は顕著に男性社会
転職の都度、ゲスの勘繰りで、私と紹介者が特別な関係にあるのではないか?などと、思われたりしていました
そうすると
「自分に実力が無いから、そのように思われてしまうのだ」という自己嫌悪
「紹介者に失礼だ、迷惑はかけられない」という思いからのプレッシャー
「こんな考えの人達の組織でプロジェクトを推進しなくてはならないのか」という落胆
誰とも思いを分かち合うことのできないまま、現場は火を噴き続けている
紹介者自身の評価を下げないためにも、早期に結果を出さなくてはならない
私は、ひたすら孤独でした(笑)
時間と、解決しなければならない事の物量
バランスを崩しつつも、ぶっ倒れずに潰していければ踏ん張れるのですが、そうじゃない場合は、本当に辛かった(笑)
■お気に入り要員と知り合い要員■
辛さを就業中に緩和させるのには癒しが必要不可欠(笑)
常に明るく前向きな女性社員は、私にとってもそのような存在でした
私に対するゲスの勘繰りは、本当にバカバカしいものです
ただ、いわゆる男女の関係にあるか否かは別として、明らかに役員の「お気に入り要員」の女性管理職が存在する組織も体験しました
また、役員と女性管理職の配偶者が旧知の仲であったりする「知り合い要員」がいた組織も体験しました
そのように「仕事」そのものの評価ではない女性管理職が存在する組織を多々見てきました
能力に疑義のある女性管理職は昔から存在はしています
したがって、私に対するゲスの勘繰りも仕方がないものかもしれません
それが、男性が中心の会社組織というもの