■モテる■
「モテる」というものは、厄介極まりないもの
明確な定義も基準も存在しない
何人からとか、どういうアプローチならばとか決まりはありません
だからというのもあるのでしょうけれど、一定の年齢位までは人々にとって悩ましいものでもあったりします
面白いことに、一定の年齢になると、悩む体力がなくなるのもあって悩まなくなります(笑)
もしくは、「モテる」という価値基準そのものに意味も興味も抱かなくなります
そんなこたぁどうでも良くなっちゃう訳ですねぇ(笑)
これが「枯れる」ということでしょうか(^^;
そして「モテる」は、残念ながら羨望とも限りません
このご時世に異性とか同性とかのカテゴライズは相応しくないとは思います
ですが、一応好意を抱かれる相手が「チヤホヤ」だと異性から「モテる」は男女共からということになっているようです
いくつかの「正」の条件が揃った相手からモテる
それは、紛れもなく羨望
逆に、「負」の条件の相手からだと哀れみさえ持たれてしまったりします
また、羨望は嫉妬と表裏一体
嫉妬の方に代わると攻撃を受けたりします
また、哀れみの場合は嘲笑や侮蔑に代わったりもします
「自称モテる」は極めて痛々しい
自尊心を満たすため、他者に向けてマウントを取るために刀を抜いてみる
なのに、口にすればするほど、その刀で自分で自分に切り付けているようにさえ見えてしまいます
では「他称モテる」は、どうかと言えば
自身は何もしていない丸腰
にもかかわらず、周囲から有ること無いことを言われて、バッサバッサと切り付けられるようなものです
■サバサバ■
鯖という魚は、青魚の代表格でもあります
大衆魚であり、世界に広く分布する回遊魚
サバ自身の内臓にある消化酵素が強く、自己消化が急激に進むのが理由で傷みやすい
サバの生き腐れなどということわざもあり、魚臭さが苦手かつアレルギーのある方もいます
そんな鯖と「サバサバ」の語源は、もちろん無関係
でも、こうやって鯖の特徴を挙げると案外似ているなと思ったりしてしまいます(笑)
「自称サバサバ」と「他称サバサバ」略して「自サバ」と「他サバ」
「自サバ」は、勝手に周囲に広く認知され、受け入れられ親しまれていると思っています
いえ、思い込んでします(笑)
でもその実、苦手な人やアレルギーすら居たりするという
本人は新鮮だと思っていても、腐っていたりすることもある
非常に迷惑極まりないので、これも自称すればするほど痛々しい
そして「他サバ」は、周囲の勝手な決めつけによって本人は愚痴も、弱音も、ちょっとした意地悪な気持ちも吐露できない
そのまま自分の中ではグチグチと溜まったままの気持ちがどんどん堆積
それでもそんなことがないように装い、自力でなんとかしなくてはいけなかったりしてしまう
■どちらにせよ痛く傷を負うもの■
「モテる」も「サバサバ」も自ら口にすると、周囲から冷ややかな目を向けられ、陰口を叩かれる
逆に、周囲の評価で「モテる」「サバサバ」と言われると、実感のない自分との違いに辟易してしまう
評価と人間関係は一対です
人間関係が形成されれば、評価も必ずつきまとうもの
自称でも他称でも、傷は負ってしまう
高価な物をどんなに大切に扱っても、細かい傷が付いてしまうのと同じ
結局、生きていくのに、傷つかずにはすまされないんですよね
なので、どちらの選択の方が生きやすいか?ということになるのかと思います
「自分はこういう人間だ」宣言をして、周囲のアレルギー反応による冷遇
「あなたはこういう人間」認定をされ、自分のアレルギー反応との葛藤
「自分はこういう人間だ」宣言
これは決して頑固ではなく、芯を持つこと
そして、頑固と芯をもつことをはき違えないのが、周囲のアレルギーを最小に抑えることにも繋がります
「あなたはこういう人間」認定
これも芯を持つことであって、決して周囲に迎合することではありません
芯を持ってさえいれば、自身のアレルギーは発症自体を封じ込め、最終的には克服に繋げることができます
でも、「芯を持つこと」
これが非常に困難極まりないことなんですよね
■嫌なのは仕事じゃない■
よく「仕事が嫌」という表現があります
中には仕事そのものが「嫌」という事もあるとは思います
特に、同じ職種に長く従事していると「飽きからくる嫌悪」みたいな物が生じてしまうのは避けられないかもしれません
ただ、「仕事」そのもの自体は感情など持ち合わせていません
結局、「好き嫌い」の判断要素として、関わる人というのが大きい
どのような人達と仕事で関わっていくのかによって、仕事の好き嫌いは大きく左右されてしまいます
嫌なのは仕事ではなく、人間関係
会社を辞める理由のほとんどは突き詰めてしまえば、人間関係
この世の全ては人間関係です
そして、その会社の人間関係は一過性の物
辞めたくなるほど嫌になる前に、人間関係に対する考え方を見直してみるのも良いかもしれません
それも、現状をどうしていくのかというような、部分的修正ではないもので見直してみる
例えば、変えられるのであれば、前提条件から変えてしまうとか
円滑に継続させようとしない前提に変えて、結果として自分の言動を変えてみるとか
どうしても組織の中に日々いると、そこに埋没してしまって「嫌=退職」と直結しがちです
退職も選択の1つです
でも、自分の人生は誰も替わってはくれません
自分を大切にするための退職という決断なのか、今一度考えてみるのは大切
そういう思考と行動が、その後においてもきっと自分を助けてくれるから
そして、自分も他人も傷付けずに人間関係を構築する一助になると思います