74年の栄枯盛衰

有価証券報告書のタスキ■

12月20日東芝上場廃止が決定しました

74年続いた上場の幕は降ろされてしまいます、終焉ですね
株式併合などをされることが決議されました
結果として、有価証券報告書の提出義務の免除になるんでしょうね

もしもまだ作成が続くのだとすると、本当に誰も見ない有価証券報告書の作成は、辛いものだと思います

以前、資本政策に失敗してしまった企業の関係者からの依頼で、誰も見ない有価証券報告書の作成に携わったことがありました

業務委託だったのですが、なんとも言えない虚しさで、気持ちの不安定さに酔ってしまいそうなグラグラした状態に陥りました

同じ様なご経験のある方、お互いに感想を共有したいです(笑)

浜松町は「東芝」田町は「NEC」品川は「SONY」なんて時代を生きてきました

サザエさん東芝ワンスボンサーで支えていた時代が未来永劫続くと思っていました

♪明るいナショナル♪VS♪光る東芝♪と口ずさんで育ってきました

これまでに至る間に、何としても上場を維持するために、必死に死に物狂いで有価証券報告書を提出されてきたでしょうから、担当者の方には頭が下がります

どれだけ会社が混乱していても、提出をしないわけにはいきません
提出するには、監査法人から監査報告書を頂戴しなくてはなりません

それは、ここ数年だけでなく74年のタスキを繋いできた方々全ての人に言えること

一区切りなので「74年間の皆さま全員お疲れ様でした」

■古き良きガバガバなガバナンス■

11月22日に開催された、東芝の上場企業としての最後の株主総会
株主も、企業も感慨深かったかと思います

私は過去に、何度か「紛糾した株主総会」に行ったことがあります

私が株主だったのではなく、在職した企業の監査役から委任されて行きました

以前から、タテツケ的には監査役は企業という組織の完全に外側にいて、取締役の取締役(笑)
企業経営と組織運営が健全に行われているかの客観的で公平な審判として、株主との間に存在する職位です

とはいえ、昔々は監査役への経営責任追及などが現在ほどは厳格ではありませんでした
さらに、監査役の職務分掌以外の助言に留まらず、実務の協力までして下さっていました
(私が、図々しくお願いしていただけ説もあります)

私は監査役室によく足を運び、「報・連・相」と作戦会議をしました
また、地味で根気の必要な作業や調べ物や、外部専門家との調整などの業務を監査役へ依頼して協力体制を築き、全くもってガバナンス違反の行為をしていました(笑)

そんなこんなの関係性だったので、監査役から
「なんかのネタになりそうな面白い株をいくつか持っているから、総会行ってみる?」
などとお話を頂戴して足を運んだ印象的な総会があります

時は、まだ適時適正開示が配信だけではなく「投げ込み」の時代です
担当になるのが嫌で、ジャンケン3回勝負のうえに、更に、あみだくじまでに持ち込んだこともありました(笑)

■最年少とITバブル■

IPOには、純然たる業績とは別な「話題」が資金調達のために必要です

その代表格は「最年少」
役員就任には年齢の定めがありません
ですので、理論上ではこれはまだまだ更新可能なキーワード(笑)

「最年長」よりは将来が長そうですから、まぁ、まぁ、まぁ(笑)

その企業も、まさに「最年少」上場社長というので2000年3月に話題になりました
しかも、東証マザーズと米国店頭株式市場(ナスダック)の同時上場
当時、社長は26歳でした

なんと、その上場時の公募増資では240億円以上を調達することに成功しました
世界中に散らばっているお金のうちの240億円を一気に調達です

手形貸し付け、コベナンツ、低金利の融資と同時に引き換えで絶対に差損となるデリバティブ商品の契約など
資金調達の度に苦労している、アチコチのベンチャー企業の社長が鼻息荒く「本気でIPOを目指そうぜ!」と言いたくなっちゃうのも解る、夢のような話(笑)

なのに、2001年5月に創業者でもある社長は辞任してしまうことに

というのも、米国のITバブルが2000年ではじけてしまい、日本も当然追随してガラガラ崩れて、株価も業績も悪化の一途

結果、その企業は社長個人の持株を担保に融資を受けることに
しかしながら、なんとその株式が行方不明に

当時の日本の株式銘柄のITは、瞬間風速に急激に頂点を迎えました
追い風で、勢いは非常にあったかと思います
そのせいもあり、企業も主幹事証券も監査法人も、上場後までを見据えた準備は不十分なものでした

産業としての成長から考えると株価だけが「異様」で頂点と崩壊しか存在しないというのがITバブル

上場がゴールになってしまい、上場がスタートという概念が失念・欠落
そんな市場の状況だったと思います

株価低迷、業績不振、資金の流れは不透明
そうなると、株主総会は紛糾しないわけがありません
こういう時に、上場時の資金調達に強味だった「最年少」は真逆に作用し、最強の弱味に転じてしまうんですよね
「こんな若造は信用できん!!」的な(^^;

■子会社化は既定路線だったかもしれませんが■

もともとその企業は、ホスティングサービスというビジネスモデルは優れていましたが、販路を持っていませんでした

そこで、出てくるわけです、例のあの企業
「空気でも何でも売ってきちゃう、営業マシーン製造企業」
「人格は数字、数字がないヤツには人格などなし」
光通信です(笑)

光通信は、その圧倒的な光通信アプローチにより、テレアポで中小企業をターゲットに、コピー機のリース契約を取っていった抜群の営業会社

アポが取れなければ、食事はおろかトイレにも行かせてもらえない
事務所の固定電話の受話器を持ち、耳に当てた状態でガムテープで頭と固定
大人用オムツを履きながら、ポケットにはガチガチに握り固めた菓子パンを忍ばせる
そうやって、上司からの罵声と、当たり処が悪いと死んぢゃいそうな重たいガラスの灰皿が飛んでくるのを、華麗にかわしながらのテレアポです(笑)

そんな光通信様に協力を仰ぎ、全面的に営業部門として活躍してもらうわけです
お約束ですが、光通信様は株式も所有する契約書を提示してきて、調印・締結

win-winな二人三脚に見えますが、これでイニシアティプは光通信が握ることになります

なんでしょうねぇ
こうやって入力しているだけでも、この企業の創業社長の生末は想像に難くない状況

光通信様は、営業担当ですから、トップラインの売上という数字を握っている
そして、株主として株式も所有している
最終的な利益である企業経営にも口を出してくる流れは定石

■株主が総会の質疑応答対応■

その企業とは、ご存知!!
2006年2月に、e-まちタウンへ商号変更した「クレイフィッシュ」です

最初は、他の株主からの質問に対して、社長の回答への補足という形で、株主でもある光通信の重田氏が答えていました

それも不格好と言えば不格好なのですが、光通信は何しろクレイフィッシュの「営業部門」です
業績についての質問の補足回答をするのは、ある意味真っ当で真摯な株主対応

問題になっていた融資の件に光通信が関与をしていたのも要因となり、それが、そのうち、社長がすっかり蚊帳の外で「株主⇔重田氏」となってしまいました

いわゆる「クレイフィッシュ事件」の一部の現場に私も居たわけです

「ガバチョといこう!!」との名言は言われませんでしたが、重田氏は、あの日の紛れもない主役でしたね(笑)

■これは単に私がご尊顔を仰ぎたかったので(笑)■

もう1つの印象的な株主総会
非常に紛糾しておりまして、怒号飛び交うとはまさにこのこと

2006年6月14日
場所は、千葉の幕張メッセ

そうです、ライブドア株主総会です

証券取引法違反の「ライブドア事件」後の株主総会です

主たる議案としては、新たな取締役の選任による経営の刷新でした

たぶん企業側は相当数の出席者を見込んでいたのかと思います
ですが、実際の会場はガラガラという感じ

筆頭株主の堀江氏は、事前に弁護士を通じて議案に賛成する委任状を提出
会場には姿を見せませんでした
それは、ちょっと残念でしたが、私は堀江氏を見に来たわけじゃない!

USENから宇野氏含めて2名が役員候補として議案に上がっていました
中でも、宇野氏は大株主でもあったことから、利益相反を問われ、追及されてましたね

でも、私は株主ではないので、怒号を堪能しつつ、宇野氏のご尊顔も堪能(笑)
出席者が少なかったおかげで、近くで見られました(笑)

ということで、私は宇野氏が見たかったのでした(笑)

■ずうっと生活の中にありました■

東芝は、上場廃止という選択をしました
確かに大きな決断かと思いますが、上場なんて企業価値の全てじゃないです

また、今後も再編が続くことになるとも思われます
残念ではありますが、もうかつてのような隆盛とはならないとも思います
でも「♪光る東芝、回る東芝、走る東芝、歌う東芝♪」です

私達の生活を支え続けていってもらえたらと思います