私は「ずうっと辛くて悔しくて悲しかった」

■天涯孤独で気持ちの解放■

毒家族との40年を超える時間
出来事の全ては「家事調停」の陳述書に綴られている
当時の物は、ハードコピーの紙だけになってしまった
PCも複写のメディアも逝ってしまった(笑)

私の死亡時に、これと共に火葬されるのは良いのか悪いのか・・・うーん
だれか託せる人がいる形で死ねたら、託したい気持ちはあります

出来が良いんですよね、仕事として
年表というか沿革とかに、関係図や参考文献なんかも入れちゃってる
まるで、有価証券報告書の企業の概況のよう(笑)
「当期における我が国経済は~」的な様式美も踏襲したりして(笑)

流石に40年超なんで、朝ドラの女一代記みたいなもんですからね

だから捨てられない(笑)

家事調停を終えてから「毒母」と「毒姉」から自宅の鍵を返却してもらった
そこで、初めてちゃんと泣きました

私は、「ずうっと辛くて悔しくて悲しかった」のだと
私は、可哀相な人で可哀相な人生だったという認識
それは「被害者意識」や「自意識過剰」などではなかったのだと

それまでも、幾度も涙は流してきました
ですが「家事調停の以前と以後」では、意味と質が違っていました

ただ、解き放たれた気持ちは10年経年した今でも、収めきれていません

■さらなる絶望はしたくなかった■

私はそれまで、家族や自分のことを解っていなかった

「家族」という集団における、母や姉の私に対するものと、私が母や姉に寄せるものには乖離が有る
それは解っていた

そして、母や姉の言動は「通常とは言い難いもの」というのも解っていた

ただ私は、毒家族もいつか変わってくれると思ってしまっていた
「家族なんだから解りあえる」という神話を信じてしまっていた

正しくは「信じたかった」
私の希望だった

「毒は一生毒のままで変わりはしない」ということが解っていなかった
私と母や姉は「乖離がある」のではなく「水と油のような異質」なのだと解っていなかった

解ってしまうことで、それまでの年月の全てが、私のそれまでの人生が無駄だったのだと知りたくなかった

真実を突き付けられて、さらなる絶望はしたくなかった

■「逃げても良い」じゃなく「逃げなきゃ死ぬよ」■

今でも進行形で疑問に感じることがあります

毒家族被害者に関する「逃げても良いんだよ」というアドバイス

「〇〇しても良い」という、許しや理解の類じゃないでしょ?
「死ぬぞ」と脅迫するくらいの人はなんでいないのだろう?

誰かに許され、理解だけされたところで、被害者の状況が変わる?
そもそも、誰かに許しを請うことじゃないしね
実際、逃げないと死んじゃうじゃん

そこまで言ってしまうと、その手段などを聞かれ、頼られ、責任を求められる可能性があるから、言えないの?

そんな中途半端ならば、無償でやってください
一切、金銭は得ないでください

「手を出さない、出す気がないことは、口も出すな」

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