■見向きもされなくなってからも案外長い■
40代半ばくらいまでは、なんとか声も掛かる
でも50を超えると声は掛からなくなる
中には「50代でもナンパされます、ウフフ」
とSNS発信する方もいらっしゃいますが、それは自由なので、どうぞどうぞ
日本女性の平均寿命は85歳超
そうなると35年位は「見向きもされない年月」
初犯なのに実刑です
「35年間放置の空気扱いの刑」を言い渡されてしまうんですよ
■昔は上に、今は下に■
美しさに頂点は存在するのだろうか?
上を見ればキリがない
残念フェイスで半世紀も生きてくると、流石に他者比較での美醜に対しての気持ちの上下はなくなってくる
「なんで私は・・・」「同じ、女なのに、人間なのに・・・」のような物はない
単に、美しい人を美しいとして愛でる気持ちしかなくなる
そんな私でも、辛い
半世紀過ぎたら、過去の自分との比較だ
身体的機能や容貌の衰えの行きつく先は「死」なのだろう
しかし、それまでは下に向かう一方
「美人は、抗えない定量的な経年で、下落率が大きいから損」とのたまわる西原理恵子さん
「20代までは2億円の美人も30代になってしまえば500円」
そんなことを言う彼女が、娘さんに整形強要したのは矛盾でしかない
しかしながら裏返しで「若い美人は、最強で最高の価値がある」ということでもある
ただ、その価値を維持していくには、相当な「気合」が必要だ
また、自意識との戦いも、相当辛いものだと思う
死を迎えるまで、下に向かう一方でしかない時間を過ごしていくのは、残念フェイスだって辛いのだから、美人はもっと辛かろう
■不細工な子ほどかわいい■
私の母は美人だ
自慢の美人なお母さんというのがピッタリだ
私は、父方の叔父の若い時にソックリ
母からは「不細工な子ほどかわいいものよ」などと言われて育った
後日「そんなのはただの冗談じゃない」
と言われたが、冗談では済まされない
むしろ、冗談ならば最低最悪な愚弄と愚行だ
私だって、美醜については通常の判断がつく
普通の審美眼を持っている
周囲の同性と比較して自身が「美しい」なんて思うわけがない
そんな、どうにかなっちゃってる自己評価の持ち主じゃない
そんなに自分に対する認知は歪んでいない
ただ、親だけは言ってはいけない
本人が「私、可愛くないから」と言ったらば、否定をしなくてはいけない
親までそんなことを言ったら、一生誰からも一度も「美しい」という言葉を向けてもらえないまま、死んでしまうかもしれない
それは女性として生まれたのなら、悲しすぎるじゃない?
そして、親からの言葉の影響で、その後に様々な男性から容姿を称賛されても、それは決して本心ではないと思ってしまう
相手の言葉を素直に受け取れなくなってしまう